カテゴリー別アーカイブ: クルーゲ

クルーゲ「愛の実験」(Ein Liebesversuch)

ペッツォルトが『あの日のように抱きしめて』を撮る上で強い刺激を受けたと証言しているクルーゲの短編「愛の実験」(Ein Liebesversuch, 1998年)は、グラフィック・デザインを施されたカラー字幕の連続的なカッ … 続きを読む

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越境と映画(再びペッツォルトへ)

戦後ドイツ映画は、戦争を顧みる時にも国家と社会の現在に目を向ける時にもしばしば国境と向き合ってきた――前者の場合、『リリー・マルレーン』のように敵と味方を分かつ断絶あるいは侵略と反撃の前線として、後者の場合、『雨の中の銃 … 続きを読む

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ドイツで撮ること

ペッツォルトへのインタビュー(『あの日のように抱きしめて』――原題はPhoenix――パンフレットに所収)によれば、すっかり変貌をとげて収容所から戻ったかつての妻を、それと気づかず自分の覚えている妻の姿に変えようとする男 … 続きを読む

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歌謡映画について――清順『浮草の宿』

結論を先に言うと、鈴木清順初期の「歌謡映画」をわたしは高く評価する、というだけである。 『公共圏と経験』へのハンセンの序文には、クルーゲについての短い紹介が含まれている。それを通してわたしは、大学での彼の副専攻が宗教音楽 … 続きを読む

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ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画」紹介

ミリアム・ハンセンは、主著『バベルとバビロン』(Babel and Babylon: Spectatorship in American Silent Film, Cambridge, Mass.: Harvard un … 続きを読む

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恐るべき子ども

ジェイムスンの記事を通して、クルーゲがまたとんでもないことをしていたのを知った(Fredric Jameson, “Marx and Montage,” New Left Review 58, 2009)。マルクス『資本 … 続きを読む

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クルーゲ「感情の力」とシュレーター「アイカ・カタパ」

クルーゲの「感情と力」(1983)を論じるにあたって、もう一人の主役を呼び出さなければならない。ヴェルナー・シュレーター、オペラ演出家にしてもっとも過激な映像制作者、マリア・カラスの信奉者、映画に破壊と創造を同時にもたら … 続きを読む

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クルーゲの書法――「愛国女性」(1979)をめぐって

昨日のエントリーでは、クルーゲのコラージュ的手法とコラージュされた多様な素材に統一を与える物語の性質について、60-70年代の3作品(「昨日からの別れ(1966)」「サーカス小屋の芸人たち 処置なし(1968)」「秋のド … 続きを読む

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アレクサンダー・クルーゲの60年代作品について

今夕はクルーゲ75年の作品「過激なフェルディナント」を見てきた。今回の特集上映ではこの作品だけ再見である。3日続けてクルーゲを見て、この人には作品を小ぎれいにまとめる意図などみじんもないことがわかった。よく言えば妥協がな … 続きを読む

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「秋のドイツ」(1978)

4月22日からアレクサンダー・クルーゲとニュー・ジャーマン・シネマの特集上映が始まった(アテネフランセ文化センターとドイツ文化センターの共催、@東京ドイツ文化会館)。私は初日の2本(ファスビンダーの「エフィー・ブリースト … 続きを読む

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