カテゴリー別アーカイブ: ツェラン

Staub, Staubfaden

“Die Niemandsrose”の中核をなす“Psalm”のキーワードは Staub(ほこり、ちり、花粉)である。この語は最終連で Staubfaden(花糸)という語に転じて再び現れる。「花糸」とはおしべの葯(やく … 続きを読む

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遠いー近い

トリスタン第 2 幕、灯が消され、待ちわびるイゾルデのもとに駆けつけたトリスタンが、イゾルデとともに歌う歓喜(それはたえず死と隣り合わせになっている)の二重唱のなかに、近さと遠さに触れる箇所がある。 ISOLDE イゾル … 続きを読む

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SchibbolethからIn einsへーー日付をめぐるデリダの議論

「合言葉 Schibboleth」(『閾から閾へ Von Schwelle zu Schwelle』、1955年)から8年後の『誰でもないものの薔薇 Die Niemandsrose』(1963年)には、Schibbol … 続きを読む

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今日はたしか

パウル・ツェランの誕生日だ。乳首麗しい。 Psalm と題されたツェランの詩を飯吉光夫氏の翻訳で掲げる(『誰でもないものの薔薇』所収の「頌栄」)。 誰でもないものが僕らをふたたび土と粘土からこねてつくる、 誰でもないもの … 続きを読む

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Schibboleth(Celan)

『敷居から敷居へ』(1955年)に収められているSchibbolethは、スペイン内乱とハプスブルク帝国の終焉に取材したもので(Doppelflöte は帝国のふたつの首都、ヴィーンとマドリッドを指す)、タイトルは旧約聖 … 続きを読む

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「エメラルドの軌道に」(パウル・ツェラン)

「エメラルドの軌道に」はパウル・ツェランの死後に刊行された詩集『時の屋敷』(1976年)に収録されている(制作されたのはおそらく1969年)。わたしは中村朝子氏訳『改訂新版 パウル・ツェラン全詩集Ⅲ』(2012年)ではじ … 続きを読む

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Soviel Gestirne について

“Soviel Gestirne”における「ぼくたち」の関係は次のごとくである。第1連によると「ぼくがお前を見つめていたとき」、ぼくは「外の別の世界のもとにいた」(ただし、いつであるかはわからない)。最後の連によると「無 … 続きを読む

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Soviel Gestirne(Paul Celan, 1963)

Soviel Gestirne, die man uns hinhält. Ich war als ich dich ansah – wann? – draußen bei den andern Welten. O di … 続きを読む

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「ジゼル・ツェラン=レトランジュ」追記

少し前に神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催されているジゼル・ツェラン=レトランジュの版画展に関するエントリーを掲げ、出品されているエッチング「ワインと忘却のときに Bei Wein und Verlorenheit」(1 … 続きを読む

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ジゼル・ツェラン=レトランジュ

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で少し変わった展示をやっている。「西洋版画の流れ/特別展示 ジゼル・ツェラン=レトランジュ」(12月1日まで)。美術館所蔵のジゼル・ツェラン=レトランジュの作品を中心に(彼女の夫パウル・ツェラ … 続きを読む

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