カテゴリー別アーカイブ: マティアス・ピニェイロ

『ビオラ』(マティアス・ピニェイロ、2012)(4)

5 ループする対話のシークエンスからビジャール=ビオラの最初の顧客(アルベルト・アハーカ)へのつなぎ。 サブリナとセシリアのループする対話を締めくくるのは、ドアをノックする音に続く、サブリナのセシリアに対する熱いキスであ … 続きを読む

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『ビオラ』(マティアス・ピニェイロ、2012)(3)

マティアス・ピニェイロ『ビオラ』のDVD が届き、見直して非常に優れた作品であることを再確認した。先のエントリーで述べた主旨に変わりはないが、見落としていた細部を確認して、いくつかの疑問が解けた。 先のエントリーに含まれ … 続きを読む

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『フランスの王女』(マティアス・ピニェイロ、2014)

『恋の骨折り損』(Love’s Labour’s Lost)は言葉の劇である。ナバラ王と三人の臣下、フランス王女と随伴する三人の女性それぞれが言葉の掛け合いを披露し、王以下四人の男たちは王女以下四人の女たちに恋の詩を贈る … 続きを読む

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マティアス・ピニェイロ作品をめぐる最近のエントリーについて

『フランスの王女』についてなぜ書かないのか、と言われるだろう。『ビオラ』の評価が日本では不十分だからである。『フランスの王女』をないがしろにする意図はまったくない。ただ、ピニェイロの最新作を的確に評価するには、その起点に … 続きを読む

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『ビオラ』(マティアス・ピニェイロ、2012)(2)

スペイン語(Castellano)の ‟Viola” の発音は日本語の「ビオラ」に近い。一方シェイクスピア『十二夜』の同名の人物は、日本では「ヴァイオラ」と英語読みされる。この文章で両者の表記が不統一なのはこうした事情に … 続きを読む

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『ビオラ』(マティアス・ピニェイロ、2012)

「(オリヴィア) あなた 、役者なの ?」 「(ヴァイオラ) ご賢察おそれいりますが 、これ以上意地悪な誤解をされないようにはっきり申しましょう 、ほんとうの私はいま演じている役の私とはちがいます 。」(シェイクスピア『 … 続きを読む

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ピニェイロ『みんな嘘つき』

マティアス・ピニェイロ『みんな嘘つき』(Matías Piñeiro, “Todos mienten”, 2009)の構成の要である「サルミエント家のゲーム」は、女系家族(サルミエント家)の子孫を残すために、末裔にあたる … 続きを読む

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シェイクスピア『十二夜』第一幕第五場

ピニェイロ『ビオラ』を見る上で、作中に引用されているシェイクスピア『十二夜』第一幕第五場の、ヴァイオラ(ビオラ)とオリヴィアの対話を読んでおく方がいい。少し長くなるが、小田島雄志訳を掲げておく。引用箇所の最後で、オリヴィ … 続きを読む

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モヒカン

ピニェイロ『ビオラ』と『フランスの王女』を見た帰りの小田急江ノ島線内で、モヒカン刈りの、しかも側頭部に薄く残した髪に剃り込みをいれた男と二度、眼が合った。こちらは『ビオラ』論を構想中だったのに、モヒカン男の介入で見事に出 … 続きを読む

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マティアス・ピニェイロの映画

マティアス・ピニェイロの作品にはゲームをする人たちが出てくる。二種類のゲーム――その行動から彼らが従っている規則を推測できそうに見えるゲームと、実践の方が規則に先行しているために規則を読み取れそうにないゲーム――を区別で … 続きを読む

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