カテゴリー別アーカイブ: 文学

ラモーとジャンティ・ベルナール

『カストールとポリュックス』の2ヴァージョンを比較して聴いてみようと思い、ググってみたら、ラモー・オペラDVDBOX なるものを見つけた。前にここで紹介したクリスティ指揮の『ボレアド』の他に、『カストールとポリュックス』 … 続きを読む

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ヴィヴァルディの算術的サディスム

『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』は愛読書のひとつである。残念ながら、わたしに性的加虐嗜好も肛門愛好癖もないけれど、言語表現におけるサドの豊穣な算術的構成を偏愛しているため、この意味でわたしはサディストである。私見では、 … 続きを読む

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『ハムレット復讐せよ』登場人物ベストテン

第一位 ピーター・クリスピン 事由 牛小屋を作ったこと 第二位 マードー・マクドナルド 事由 園丁の鑑 第三位 イアン・スチュアート 事由 大法官のくせに…まさかの獅子顔症 第四位 エリザベス・クリスピン 事由 ピュグマ … 続きを読む

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『黄金の驢馬』(アープレーイユス)

「ウェヌス・ウェルティコルディア」からパリスの審判へと進んだ先のエントリーのねらいは、この『黄金の驢馬』の話を出すことにあったという穿った見方をあらかじめ否定しておく。本題はロセッティで、こちらはあくまで脱線である。 『 … 続きを読む

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「ウェヌス・ウェルティコルディア」(ロセッティ)

ウェヌス・ウェルティコルディア お前に渡そうと林檎の実を手にしながら 胸のうちでは渡さずにおくと決めたかのよう 思いに耽りつつ、その目はお前の魂のうちに 見える物の跡をたどっている。 たぶんこう言うのだ、「見よ、かの者は … 続きを読む

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『D.G. ロセッティ作品集』(岩波書店)

書店で見つけて購入した。装丁も美しく、好企画が続いている最近の岩波文庫の中でも優れた一冊ではないか。 「絵画のためのソネット」の詩篇には、すべてロセッティ自身の絵画の写真が添えられている。『作品集』というタイトルに実が伴 … 続きを読む

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ゲーテ「聖なる憧れ」

ダニエル・シュミット『人生の幻影』(1983, タイトルはダグラス・サーク最後の長編劇映画 “Imitation of Life” に由来する)のラスト近くでサークが暗唱する詩は、ゲーテの『西東詩集』に収められた「聖なる … 続きを読む

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『荒魂』(5)

「佐太がうまれたときはすなはち殺されたときであつた。」 佐太は出生と同時に埋め殺され、殺されると同時に再生する。彼の二度目、三度目の生を養ったのは大地であり、穴であった。佐太の再三にわたる誕生は穴からあたかも転がり落ちる … 続きを読む

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『荒魂』(4)

『荒魂』という作品が石川淳の小説作品を読む上で特別な位置を占めている理由は、佐太という存在を通じていわば急所のありかが指示され、彼を取り巻く登場人物たちがそれぞれに佐太の正体を突き止めようと試みることである。つまり佐太の … 続きを読む

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『荒魂』(3)

それでは石川淳における急所とは何か。どうやら蒔き散らすもの、蒔き散るもの、蒔き散らされるもの(ファルス、精子、大地)という神話的な豊穣の三位一体とは関係がないようである(注)。また急所の目立った表現として、しばしば陽根が … 続きを読む

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