カテゴリー別アーカイブ: 溝口健二

溝口健二『歌麿をめぐる五人の女』(3)

④ 漁りの場面。ここでの論点は、日本家屋の構造を用いた本作品の緻密な空間設計が時としてどのように脱線するかということである。『歌麿をめぐる五人の女』に含まれるロケーション撮影はいずれも見事だ(特に駆け落ちした多賀袖と庄三 … 続きを読む

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溝口健二『歌麿をめぐる五人の女』(2)

③ 冒頭のエピソードにおける、おきた(田中絹代)の水茶屋の三つのアングル。これから見る3(+1)ショットは、時系列上先に見た導入部(①)と多賀袖の背中の場面(②)の間に挟まれている。なぜ時系列に沿って論じないのかと言えば … 続きを読む

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溝口健二『歌麿をめぐる五人の女』

神保町シアターの特集「1945-46年の映画」は、敗戦直後に撮られた日本映画16本(敗戦間近に撮られていたものを含む)を取り上げている。戦火で打撃を受けた製作興行体制と社会不安のただなかにある観客という作る側・見る側双方 … 続きを読む

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浪華悲歌

「浪華悲歌(なにわエレジー)」は「祇園の姉妹(ぎおんのきょうだい)」とともに、溝口健二が年下の新進脚本家・依田義賢と組んで1936年に永田雅一の第一映画社で監督した作品である。永田はこの時代の日本映画を語る上で絶対に欠か … 続きを読む

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祇園の姉妹

一貫して身体、身体、身体という映画である。なぜ小津をしてこの映画は自分には撮れないと言わせたのか。いまのわれわれにはその核心をなす映像を見ることができないのかもしれない(フィルムが失われているため)。しかし芸者がたんに媚 … 続きを読む

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