カテゴリー別アーカイブ: 石川淳

『荒魂』(5)

「佐太がうまれたときはすなはち殺されたときであつた。」 佐太は出生と同時に埋め殺され、殺されると同時に再生する。彼の二度目、三度目の生を養ったのは大地であり、穴であった。佐太の再三にわたる誕生は穴からあたかも転がり落ちる … 続きを読む

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『荒魂』(4)

『荒魂』という作品が石川淳の小説作品を読む上で特別な位置を占めている理由は、佐太という存在を通じていわば急所のありかが指示され、彼を取り巻く登場人物たちがそれぞれに佐太の正体を突き止めようと試みることである。つまり佐太の … 続きを読む

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『荒魂』(3)

それでは石川淳における急所とは何か。どうやら蒔き散らすもの、蒔き散るもの、蒔き散らされるもの(ファルス、精子、大地)という神話的な豊穣の三位一体とは関係がないようである(注)。また急所の目立った表現として、しばしば陽根が … 続きを読む

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『荒魂』(2)

小説の文体の特徴と作品が語っているように見える事柄とを関係づけることは案外むずかしい。ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』のルソーをめぐる分析は、文学者ルソーと思想家ルソーを思いがけないやり方で関係づける。ただしこの … 続きを読む

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『荒魂』

石川淳の小説の文体はそれぞれに固有性を持ちかつ他と響き合う、次のようなレイヤー(階)によって構成されている。1) ツーと言えばカーと答える、間然するところのない演劇的な台詞の応酬、2) 急展開する出来事を描き出す粗くふて … 続きを読む

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