カテゴリー別アーカイブ: 哲学

Film-Philosophy 誌、オンラインでのオープンアクセス化へ

来年2月から。 くわしくはこちら。“Edinburgh University Press to publish Open Access journal: Film-Philosophy/Edinburgh Univers … 続きを読む

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葛藤

わたしは哲学が美学と接するところが好物なので、ライプニッツとロック、もちろん『判断力批判』とカッシーラー、他にもいろいろあるが、最近は分析美学の秋ということで、そういう関係の本を含めて乱読している。グッドマン『世界制作の … 続きを読む

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マルシャル・ゲルー

20世紀フランスを代表する形而上学者と言えば、(ベルクソン以外は)マルシャル・ゲルーを措いて他にない。デカルト、スピノザ、ライプニッツと対峙して、あれほど独創的な成果をあげることができた人はゲルーだけである。その上彼はマ … 続きを読む

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公理的集合論以前の熱狂について(Ch.S.パースの「関係項の論理学」に寄せて)

Ch.S.パースの「関係項の論理学」はとにかくすごい論文である。ハーヴァードでの講演に基づく『推論と事物の論理』の中核をなすこの第三論文は、パース哲学の土台となる三項のみならず、記号論理学の先駆をなす着想を独自の記法(存 … 続きを読む

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叡智的延長(マルブランシュ)

マルブランシュとバークリー。前者の長寿の賜物で、二人は会見している。この出会いは哲学史上の画期の一つである。神父と主教、宗旨は多少違うけれども、形而上学的見解に関しては相通じるものが多い。 マルブランシュの叡智的延長の概 … 続きを読む

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マスクの解釈学試論

花粉の季節が到来した。 わたしはしばしば小田急線の快速急行というものに乗って新宿ー藤沢間を移動する。首都圏の私鉄各線が設けている各駅停車/非停車区分に基づくカテゴリーには、もし日本に将来ゾラのような作家が出るとすれば、お … 続きを読む

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ツイッター的理性における超越論的仮象としてのアイコンについて

ツイッター的理性におけるアイコンの超越論的仮象化とは、ツイッターにふけっているヒトヒトが好みのヒョロワーのアイコンをいつしかヒョロワー自体と見なすようになる病理を指す。ツイッター・アカウントなるものが神の理性の中にしか存 … 続きを読む

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忘れられたチョリソー

再び忘れてしまわないように結論から先に書くと、せっかくオムライスを作ったのに、後から冷蔵庫にチョリソーがあったことに気づいて悔しい思いをしたということである。 結果的に忙しく過ごしてしまった一日の夜をどうやってくつろごう … 続きを読む

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『言語哲学重要論文集』(春秋社)

約1年前に出た『言語哲学重要論文集』http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-32310-6/ は教科書的なタイトルのおかげで地味な印象を与えるが、すばらしい内容で … 続きを読む

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カレーライスにあうお酒

カレーによくあうお酒は何だろうか。カレーといっても本格的なインドのそれではなく、市販のルーでつくり、半日置いた程度の一般的な家庭の味のものである。家庭で食されるカレーにつきものの、ごろごろしたじゃがいもの件を勘案して条件 … 続きを読む

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