月別アーカイブ: 12月 2011

まとめ

断固として言う。山手線は通年終夜運行すべきである。 同志たちよ、来年もよろしく。

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オランダ人曰く「てへ、手紙でも書きましょう」

いまBunkamura で開催中の「フェルメールからのラブレター展」、構成がいいというあるかたのツイートを読んで興味を持った。年内に展覧会には行けないので、ウェブサイトで企画の概要を見てみよう。http://vermee … 続きを読む

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ウフィッツィ美術館の空調について

あれはなんとかしないとやばい。空調についてと書いたが、おそらく冷暖房はあっても空気を入れ替えたり浄化したりする設備はないと思う。ダイキンかどこかの空調メーカーに一大プロジェクトを敢行してほしい。もともとここはメディチ家の … 続きを読む

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アヴェロエスの「知性単一論」

アヴェロエス(1126-98)は実人生においても哲学史においても数奇な運命を辿った哲学者だ。新プラトン主義経由の読解からアリストテレスを解放する徹底的な彼の注解は、そのほとんどがラテン語に翻訳され、盛期スコラ学の基礎を築 … 続きを読む

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塩野七生 talks about アルド・マヌッツィオ

塩野七生氏の「ルネサンスとは何であったのか」より、アルド・マヌッツィオに関する記述を勉強のためにメモさせていただきます。 《ダンテ、ボッカッチョ、マキアヴェッリに、レオナルドやミケランジェロやラファエッロの名を知る人は多 … 続きを読む

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映画の魂とカメラ

編集なくして映画作品はありません。この点を前提にいま私たちが考えたいのは、シナリオと編集という知的な作業に挟まれた撮影という非知的過程についてです。カメラアングルと露出が監督ないしカメラマンによって決定されることはその通 … 続きを読む

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映画の集合的身体と魂

最近のポストでは、映画を見る魂と映画の身体という一対の概念を使ってきました。魂は映画の身体に接続したりしなかったりすることを通して作品と関係し、同時に歴史と技術という外部の観点を作品に結びつけようとするというのがそのあら … 続きを読む

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魂の敵たち

映画を見ている普通の魂にとって、接続しがたい映画的身体とはどのようなものでしょうか。動物的身体、とりわけ子供、オナニスト、捕食者という系列を考えることができます。これらの神経質な身体は、末梢と中枢の情報伝達が活発(つまり … 続きを読む

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映画に見られる異常な身体

なぜ映画理論の話の中で魂という概念装置が取り上げられなければいけないのでしょうか。私見では麻痺、性交、ミイラにかかわる身体について語るためです。(このエントリが昨日の続きなら、すなおに昨日の分に追加すればいいのにと思いま … 続きを読む

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映画を見ている普通の魂

感覚していると感じている内容や、想起できると思っている内容がそのへんにまとまってある場所という意味で、魂という言葉は今でも使い勝手があると思います。精神には、~分析だの~医学だの、ちょっと違う意味が付随しがちでよけいな心 … 続きを読む

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