月別アーカイブ: 1月 2012

Gustav Leonhardt

生涯で師と慕ってきた唯一の人だった。この人が存在する世界にともに生きることができたのは何という幸福なめぐりあわせだったことか。 昨年5月の明治学院チャペルでの演奏は、60年代の先生を彷彿とさせた。充実しきった演奏で、どこ … 続きを読む

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浪華悲歌

「浪華悲歌(なにわエレジー)」は「祇園の姉妹(ぎおんのきょうだい)」とともに、溝口健二が年下の新進脚本家・依田義賢と組んで1936年に永田雅一の第一映画社で監督した作品である。永田はこの時代の日本映画を語る上で絶対に欠か … 続きを読む

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祇園の姉妹

一貫して身体、身体、身体という映画である。なぜ小津をしてこの映画は自分には撮れないと言わせたのか。いまのわれわれにはその核心をなす映像を見ることができないのかもしれない(フィルムが失われているため)。しかし芸者がたんに媚 … 続きを読む

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イドメネオ

イドメネオの魅力をあげればきりがない。わたしが特に惹かれるのはそのミニマリズムである。どの曲も魅力的なのにあっという間に終わってしまう。レチタティーヴォのオーケストラ伴奏(アコンパニャート)の中にも一瞬で完結する美しい動 … 続きを読む

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フライブルク・バロック・オーケストラ

なんと初来日。創立は1987年だから、音楽監督のゴットフリート・フォン・デア・ゴルツをはじめ古参のメンバーの髪には白いものも混じっていることでしょう。わたしはアンドルー・ローレンス=キング率いるハープ・コンソートが通奏低 … 続きを読む

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Dailuaine

よいシングルモルトに出会った。ベルギーのボトラーがDailuaine 醸造所の1973年の樽をDaily Dram という名で瓶詰めしたもの。サブタイトルがADIEU LINA!  Forgus McDonald という … 続きを読む

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アポテオーズ

昨夜のエントリ「神々の名前」には、いま読んでいるベンヤミンの「ドイツ悲劇の根源」からの影響が丸見えである(梶芽衣子はさすがに関係ない)。しかしそれとは別に昨年から勉強を始めたラテン語のテキストに、ちょこちょこ文字通り神々 … 続きを読む

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神々の名前

梶芽衣子という固有名は神話の領域にある。 神話に登場する神々の名は「伝達」とか「商売」とか「戦争」といった理念を表現するとともに、具体的な物語を通じて神々のキャラクター(神格)を個体化する。神話がなければ神々の名は理念の … 続きを読む

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アカルイミイラトリガミイラニナル

ミイラという日本語の起源がスペイン、ポルトガル、イタリア諸語の mirra (没薬)に由来するという指摘は南方熊楠の「ミイラについて」(1917)にある。古来ミイラが薬として珍重されたことと、ミイラを作るために使用された … 続きを読む

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花田清輝の「幕末太陽傳」評

日活100年を記念して、「幕末太陽傳」のデジタルリマスター版が劇場公開されている。この傑作がもっと多くの観客の知るところとなり、50年代日本映画の輝きを見直してやろうという気運にでもつながればすばらしい。 ところで本日は … 続きを読む

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