月別アーカイブ: 4月 2013

モンタージュとコラージュ

今回のクルーゲ特集から私がもらった宿題のひとつは、映画の手法としてのコラージュとは何かという問題である。もともと映画はいろいろな素材を編集して制作するものであり、すでにモンタージュという概念の内に多様の統一という意味が含 … 続きを読む

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クルーゲ「感情の力」とシュレーター「アイカ・カタパ」

クルーゲの「感情と力」(1983)を論じるにあたって、もう一人の主役を呼び出さなければならない。ヴェルナー・シュレーター、オペラ演出家にしてもっとも過激な映像制作者、マリア・カラスの信奉者、映画に破壊と創造を同時にもたら … 続きを読む

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クルーゲの書法――「愛国女性」(1979)をめぐって

昨日のエントリーでは、クルーゲのコラージュ的手法とコラージュされた多様な素材に統一を与える物語の性質について、60-70年代の3作品(「昨日からの別れ(1966)」「サーカス小屋の芸人たち 処置なし(1968)」「秋のド … 続きを読む

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アレクサンダー・クルーゲの60年代作品について

今夕はクルーゲ75年の作品「過激なフェルディナント」を見てきた。今回の特集上映ではこの作品だけ再見である。3日続けてクルーゲを見て、この人には作品を小ぎれいにまとめる意図などみじんもないことがわかった。よく言えば妥協がな … 続きを読む

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「秋のドイツ」(1978)

4月22日からアレクサンダー・クルーゲとニュー・ジャーマン・シネマの特集上映が始まった(アテネフランセ文化センターとドイツ文化センターの共催、@東京ドイツ文化会館)。私は初日の2本(ファスビンダーの「エフィー・ブリースト … 続きを読む

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「フラワーズ・オブ・シャンハイ」の魅力について

「フラワーズ・オブ・シャンハイ」の侯孝賢は、長回しのテイクでそれぞれ異なる時間を内包したいくつかの場面を撮り、それらを組み合わせて個々の場面に還元できない作品の時間を作り出すというきわめてオーソドックスな方法を採っている … 続きを読む

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侯孝賢「フラワーズ・オブ・シャンハイ」のショットについてのメモ

この作品においては少なくとも三つの時間を区別することができる。王(トニー・レオン)や小紅(羽田美智子)らの登場人物に固有の時、ショットに固有の時、そしてショットとショットをつなぐ時である。 以下のショット割りのメモ(20 … 続きを読む

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