月別アーカイブ: 9月 2013

神保町シアター/特集「祝 卒寿 鈴木清順」

9月28日からいよいよスタートしたこの特集、私は2日目から通い始めた。8月以来、ベルリン派、クレショフ、ロバート・クレイマー、ロシア映画など、東京のミニシアターは競って見逃せない企画を連打してきたが、90歳を祝って開催さ … 続きを読む

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再び映画の記憶としての習得について

最近論じてきた「習得される記憶」という概念について、私の説明不足による誤解があり得ると思うので、若干補足したい。 「持続的再認(映画を見ている間、観客がほぼ無自覚に行っている、記憶したばかりの事柄の連続的な想起)」との比 … 続きを読む

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映画経験の現象学の必要について

先に「映画の記憶のカテゴリーとしての習得について」というエントリーを掲げた理由のひとつは、映画を見る経験についての探究と、この(探究の)枠組みにおける「想起の体制の分類」の必要を感じていることにある。 このブログで映画理 … 続きを読む

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ロメールのアンハッピーエンド

エリック・ロメールの映画では必ず偶然が重要な役割を果たし、機械じかけの神による解決、ないしはハッピーエンドに至るように見えることがある。しかし、そこからロメール作品の楽天的な性格を導くのは誤りである。 なぜなら、ロメール … 続きを読む

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映画の記憶のカテゴリーとしての習得について

映画を見ることが想起を前提とするということは自明に思える。しかし、想起にはいくつかのカテゴリーがある。私はそのひとつを「習得」と呼んで、他の想起の仕方から区別したい。 一般に知識には知識に由来するものと経験に由来するもの … 続きを読む

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『東ベルリンから来た女』について

『東ベルリンから来た女』(2012年、原題 “Barbara”)は、過去と現在の間で引き裂かれる幽霊たちの姿を描いてきたクリスティアン・ペッツォルト Christian Petzold の従来の系 … 続きを読む

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