月別アーカイブ: 10月 2015

Mr.Klein(Joseph Losey, 1976)

ロージー『パリの灯は遠く(Mr.Klein)』にはマイケル・ロンズデールとジュリエット・ベルトの他にあと二人、リヴェット『アウトワン』の主要メンバーが登場する。『アウトワン』で哲学者ワロックを演じたJean Bouise … 続きを読む

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ジョゼフ・ロージーの欲動の表現

情動(アフェクション)のイメージとアクションのイメージの間にある独自の領域――断片的で形のないものが蠢く底または無底、あらゆる欲動が唯一のそれ(=死の欲動)へと集中する根源的な世界――を、ドゥルーズは欲動のイメージと名づ … 続きを読む

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オフュルス『マイエルリンクからサラエヴォへ』

オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー(二人はサラエヴォ事件で命を落とした)の恋を描く『マイエルリンクからサラエヴォへ』は、『歴史は女で作られる』を準備する作品である(以下『マ … 続きを読む

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いささか節

蓮實スクールの言説が大嫌いなので、いささかという副詞は使わないことにしている。今回初登場であるはずだ。何がいささかだ。馬鹿丸出しである。

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ミゲル・ゴメスの『アラビアン・ナイト』がやってくる

ところが、広島映画祭のタイムテーブルは、第一部から第三部を11月21日―23日の三日に分けてそれぞれ一回限り上映するというものである。一日通して全編上映してもらえれば日帰りで見に行けるのに(恵まれた映画環境に漬かり切った … 続きを読む

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オニサンティ

フィレンツェのオニサンティ教会はボッティチェリが眠っていることで知られる。いまはウフィツィ美術館の最初の部屋に飾られているジョットの堂々たる「オニサンティの聖母」も、もとはこの教会の主祭壇画であったという。オニサンティと … 続きを読む

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『コジ・ファン・トゥッテ』(レヴァイン・メト、2014)

レヴァインのメトロポリタン・オペラ復帰公演で『コジ・ファン・トゥッテ』を聴いた(WOWOWのライブ・ビューイング)。スザンナ・フィリップス(フィオルディリージ)、イザベル・レナード(ドラベッラ)、ダニエル・ドゥ・ニース( … 続きを読む

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バルザック

バルザックは苦手だったが、『十三人組物語』を読んですっかり心を入れ替えた。フランス文学といえばもっぱらフローベール以降の作品に親しんでいた高校から大学の頃のわたしには、バルザックの奇想天外なストーリー展開は怪人二十面相シ … 続きを読む

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ワイズマン『ジャクソン・ハイツ』(In Jackson Heights, 2015)

『ジャクソン・ハイツ』を描き出すワイズマンのキャンバスはとりどりの色彩と意匠であふれている――多様な言語で描かれた商店の看板と店先の雑多な品々、屋台の手書きメニュー、八百屋やファーマーズ・マーケットに並ぶつややかな野菜( … 続きを読む

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矢橋透「ジャック・リヴェット試論」(「文學界」)

「文學界」11月号に、矢橋透氏による「世界理解の鍵としての演劇--ジャック・リヴェット試論」という論文が掲載されている。リヴェットの主要作品を網羅的に紹介した日本語の文章は少ないので、大いに参考になる。当ブログでの “ … 続きを読む

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