SchibbolethからIn einsへーー日付をめぐるデリダの議論

「合言葉 Schibboleth」(『閾から閾へ Von Schwelle zu Schwelle』、1955年)から8年後の『誰でもないものの薔薇 Die Niemandsrose』(1963年)には、Schibbolethと同一の主題を反復した「すべて一つになって In eins」という作品がある。デリダはふたつの詩の関連について、特に In eins 冒頭の「2月13日」という「日付」に注目して興味深い考察を加えている(『シボレート――パウル・ツェランのために――』、飯吉光夫・小林康夫・守中高明訳)。まず飯吉氏の訳とともにIn eins を読んでみよう(邦訳は『シボレート』所収のそれではなく、飯吉訳『誰でもないものの薔薇』からの引用)。

In eins


Dreizehnter Feber. Im Herzmund
erwachtes Schibboleth. Mit dir,
Peuple
de Paris. No pasarán.


Schäfchen zur Linken: er, Abadias,
der Greis aus Huesca, kam mit den Hunden
über das Feld, im Exil
stand weiß eine Wolke
menschlichen Adels, er sprach
uns das Wort in die Hand, das wir brauchten, es war
Hirten-Spanisch, darin,


im Eislicht des Kreuzers 《Aurora》:
die Bruderhand, winkend mit der
von den wortgroßen Augen
genommenen Binde – Petropolis, der
Unvergessenen Wanderstadt lag
auch dir toskanisch zu Herzen.


Friede den Hütten!

 

すべて一つになって

二月十三日。心の口もとに
目覚めた合言葉。君らとともに、
パリの
人民よ。〈奴ラヲ通スナ(ノー・パサラン)〉

羊たちをかたわらに従えて、スペイン、フエスカ出身の
老人アバディアスが犬たちを連れて、
野を越えて姿を現わした。
一片の、人間の品位を持った雲が、
亡命者さながら、白く空に懸っていた。アバディアスは
僕らが必要とする言葉を僕らの手のうちに語った。その言葉には
羊飼いの使うスペイン語がまじっていた。

巡洋艦《オーロラ》の氷の光の中で打ち振られる兄弟の手、
言葉と同じほど大きい目から外した眼帯を打ち振っている手。
忘れることのできない人びとの
移動する市ペトロポリスが、トスカナでもお前の心に懸っていた。

茅屋に平和を!
(飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』、静地社、1990年)

デリダは詩作品における日付について、次のように述べる。「詩が日付というものに債務を負っている(下線部は邦訳原文では傍点。以下同じ)とすれば、ちょうど自己のおよそ最も固有な事柄(Sache)、原因あるいは署名に対してのように日付にみずからを負っているとすれば、つまり自己の秘密にみずからを負っているとすれば、詩が語るのはただ、そのような日付に――一個の贈与 don でもあったこの日付に――いわば借りを返すことによってのみなのである、日付を拒否することなしに、とりわけ否認することなどなしに、それから解放されるために。詩は、一個の特異性の彼方で自己の言葉が反響し叫び声をあげるために日付から放免されるのであり、この特異性はさもないかぎり解読不能で、無言で、自己の日付の中に閉じ込められたままに――非‐反復可能なものに――とどまる怖れがあろう。すでにみずからについて語っている日付について、記憶を失うことなしに語ることが必要なのだ――日付は、日付という単純な出来事によって、つまり「記憶のため」の一つの符号を書き込むことによって、純粋な特異性の沈黙を破ったということになるだろう。だが日付について語るためには、人は同時にそれを消去しなければならない。つまりそれが語っている純粋な特異性の彼方でそれを読み得るもの、聴き取り得るもの、理解し得るものにしなければならない。しかるに、絶対的な特異性の彼方、詩の感嘆への機会とは、日付の、何か或る一般性の中への単なる消去ではない。それは或る他なる日付を前にしてのその消去、つまり詩がそれに語りかける日付、一個の出会いの秘密、出会いという一個の秘密の中で奇妙な仕方で同一の日付と結ばれている他者なる男あるいは女の日付を前にしての消去なのである。」(p22-23 )

デリダ節だが、これはいいデリダ節だ。さてこのテクストにおいて、日付(2月13日)の、一般性の中への単なる消去ではない、「或る他なる日付を前にしてのその消去」、言い換えれば日付の反復可能性の獲得はどのようにして行われているのだろうか。デリダの目論見はこうである。「ただ単に、二月十三日が、再来し、年ごとにおのれの亡霊と化すからというだけではない。そればかりではなくて、それはまずなによりも、例えばヨーロッパの政治地図の上に散らばる異なる場所、いろいろな時代、さまざまに相異なる固有語法における多種多様な出来事が、同じ記念日を中心として互いに結び合うこともできるだろうからである。」(p56)

In einsにおいて(もちろんSchibbolethにおいても)、Schibbolethという語そのものが国境線を通過する際の合言葉で、その起源はschi音を正確に発音できないエフライム人の逃亡を阻止するためにこのヘブライ語が選ばれたという旧約聖書の故事である。デリダはまずこの故事にあるヨルダンの国境線をあげ、続いてIn einsとSchibbolethの2作品に共通する“No pasarán”の由来、すなわち1936年2月のスペイン内戦前夜にわれわれの注意を促す。「通スナ」とはフランコとファランヘ党への否であり、3年の後にこの言葉は共和派と国際義勇軍にとってのシボレートとなっていた。さらにIn einsの第3連、「巡洋艦《オーロラ》」と「ペトロポリス」(つまりペトログラード)は10月革命の引用であって、その先駆けとなった2月革命との関連が指摘されていると言う。
 

しかしそれ以上に注目されるべきは、 

Dreizehnter Feber. Im Herzmund
erwachtes Schibboleth. Mit dir,
Peuple
de Paris. No pasarán.

 

と続く詩句において、ヘブライ語の Schibboleth, ドイツ語の Mit dir, スペイン語の No pasarán の間に挟まれたフランス語 Peuple de Paris であるとデリダは言う。彼がここで引き合いに出す日付は1962年2月13日だ。1955年の Schibbolethにおいてはたんに2月とだけ言われていた日付が、63年のIn einsでは具体的に2月13日とされ、しかもこの時ツェランはパリにいる。「一九六二年二月十三日、それはパリで地下鉄シャロンヌ駅の虐殺の犠牲者たちが埋葬された日にあたる。アルジェリア戦争末期における、反‐OAS[秘密軍事組織]の街頭行動。幾千もにのぼるパリの人々が、「パリの人民」が、その時デモ行進をしている。その二日後に始まるのが、エヴィアン協定に向けての会談である。この「パリの人民」とは、依然として、それと手を結ばねばならぬ「コミューン」の人民なのだ――おまえと共に、パリの人民よ。つまり同じ出来事のうちに、同じ日付において、国家の戦争にして〕市民の戦争〔内戦〕、他方の開始と、――開始としての一方の終結である。」(p72) 

シボレートをめぐるデリダの言葉が白熱し始めるのはここからであるが、ひとつのエントリーでそこまで立ち入ることは不可能である。

 

 

【日付の表記の不統一について】 本ブログでは、日付は原則としてアラビア数字で表記し、引用文中の表記は原文を尊重している。見苦しいがご容赦を。

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