ユペールが気になって、『追放された魂の物語 映画監督ジョセフ・ロージー』(ミッシェル・シマンによるインタビュー、邦訳=中田秀夫、志水賢、1996年)の『鱒』に関する箇所を読み返していた。
ユペール主演、アレクサンドル・トローネルの美術(!)によるロージー晩年の作品『鱒』(82年)は、90年代にアテネフランセ文化センターで無字幕上映され、WOWOWで昨年放映されてはいるが、日本の映画館で一般公開はされていない。今年『天国の門』と『勝手に逃げろ/人生』がリバイバル上映されたどさくさにまぎれて、いっそユペール映画祭みたいなものを企画してしまえばよかったのではないかと、無益にもこんな年の瀬に思う。
シマンのインタビューによれば、ロージーは原作を1964年に読み、著者(ロジェ・ヴァイヤン)とともに映画化をめざして各方面に働きかけていた(同書の巻末に並ぶ実現しなかった企画の数々――『失われた時を求めて』のそれを含む――は、言い方はよくないが壮観である)。この時点でヒロインの候補に挙がっていたのはブリジット・バルドーだった。60年代、バルドー&ロージーの『鱒』――見られるものならぜひ見てみたい(おそらくモノクロで撮られ、『エヴァ』のような雰囲気の作品に仕上がっただろう)。
そうこうするうちに原作者のヴァイヤンは亡くなってしまい、他の多くの企画同様本作は危うくお蔵入りになるところだった。『鱒』の企画が復活するのは、1976年のバイロイトでのことだ(邦訳p448には「1967年」とあるが、この年にブーレーズ、シェローによる『指輪』は上演されていないし、ロージーの隣にユペールがいてもまだ14歳だ。原著p412 にあたって確認したが、「1976年」で間違いない)。
いま書いてしまった通り、ロージーはこの時、ピエール・ブーレーズ指揮、パトリス・シェロー演出の伝説的な『ニーベルングの指輪』(NHK・BSによるこの舞台の放送を通して、ようやくわたしもワーグナーを理解するようになった)を、イザベル・ユペールとともに観ていたのである。ロージーは「そのとき彼女なら『鱒』のヒロインにぴったりじゃないかという考えが浮かんだ」と述べている。映画が撮られるにあたって何が機縁になるかは予想もできない。
このエピソードとできあがった『鱒』のことを考えると、イザベル・ユペールという人はやはりただ者ではない。考えてみれば『バルスーズ』でドパルデューといっしょに事実上の映画デビューを果たし、その後も確実に映画史に残る優れた作品に矢継ぎ早に抜擢された彼女には、観客より先にまず映画監督を引きつける魅力があったということであろう。