妥協を嫌う小津がカラー映画の制作に踏み切ったのは『彼岸花』(58、撮影監督=厚田雄春)によってであった。これ以降すべての小津作品はカラーで撮られているーー『お早よう』(59)、『浮草』(59、大映作品。撮影監督=宮川一夫)、『秋日和』(60)、『小早川家の秋』(61、東宝作品、製作は宝塚映画。撮影監督=中井朝一)、『秋刀魚の味』(62)。松竹作品『お早よう』、『秋日和』、『秋刀魚の味』のカメラはいずれも厚田雄春である。後期のカラー作品6本の中に、松竹以外の映画会社のカメラマン(いずれも経験豊かな名人)とのコンビネーションで撮られた作品が2本もあり、どちらも中村鴈治郎を配した異色作であることは興味深いめぐりあわせだ。なぜなら小津のような大監督にとってもカラー作品を撮る上での試行錯誤はあったと考えられ、それは異なる撮影監督を起用した作品間の表現の差異を通じて明らかになるからである。
冒頭に「妥協を嫌う小津がカラー映画の制作に踏み切ったのは…」と書いた。戦後すぐに活動を再開し、50年代にはモノクロ・トーキー映画の金字塔を作り上げた“古典映画”の巨匠が、カラー作品に新境地を開くため満を持して『彼岸花』を撮ったかのような口吻である。じっさいには小津のみならず、溝口、成瀬、黒澤といった大監督の場合でもカラー映画の制作時期は50年代後半からであり、この時代の日本映画の主流はモノクロ作品だった。映画製作会社側から見た作品の宣伝の仕方(当時のカラー作品のポスターには仰々しく「総天然色映画」などと書かれていることが多い)や予算の問題も関係するので、小津が満を持してカラー作品を撮ったかのような書き方は勇み足である。もちろん撮影監督もこの時期カラーの経験は浅かった。たとえば『浮草』で小津と組んだ宮川一夫がはじめて担当したカラー作品は溝口健二の『新・平家物語』(55)だった(ちなみに溝口は55年の『楊貴妃』『新・平家物語』に続く56年の遺作『赤線地帯』でモノクロに戻っている)。
こういう事情があるため、小津の6本のカラー作品には異なる持ち味があり、それぞれが瑞々しい。いわゆる小津らしさをめぐる先入観に捉われずに見られるべきである。50年代の偉大なモノクロ作品への遠慮があるのかもしれないが、小津を論じる人々が後期のカラー作品を取り上げるときの調子は往々にして腰が引けている。特に『浮草』については、戦前の作品のリメイクで、59年時点においても時代錯誤的な題材が扱われていること、大映で宮川一夫と組んだカラー映画であり、ロケも多いこと、中村鴈治郎・京マチ子・若尾文子といった小津作品の常連ではない俳優たちを起用していることなどから、一種の機会作品といった評価がなされやすい。しかし、わたしには本作が小津のカラー作品の中でも傑出しているように思える。代表的な場面をあげ、そこでの宮川一夫の貢献について指摘しておきたい。
小津が松竹で厚田雄春を使って撮る場合と同じく、ローアングルと切り返しは本作でも特徴的であり、だれが見てもすぐに小津作品であるとわかる(冒頭の灯台と空き瓶のショットや、船着場の待合室での客たちの台詞回しなども然り)。あくまで推測だが、こういうショットで宮川カメラマンは楽しんで小津調を実践したのだと思う(完全主義者で知られる人だから、事前に小津作品を十分研究したはずである)。にもかかわらず、宮川一夫だからこそ撮れたと考えられる重要な箇所がいくつかあり、それらが『浮草』の魅力を作り出しているというのが、本稿の趣旨である。
旅芸人の一座が巡業にやってきた三重の港町には、座長鴈治郎のかつての女(杉村春子)と息子(川口浩)が暮らしている。川口は自分が鴈治郎の子であるとは知らず、彼のことを伯父だと聞かされている。鴈治郎は一座の看板女優(京マチ子)と深い仲になっているが、彼女はこの土地と鴈治郎の因縁について知らない。京マチコは鴈治郎に惚れており、彼が何かにつけて一座を抜け出すのを怪しみ、ついに杉村のやっている一杯飲み屋に押しかけてくる。
雨の場面である。杉村がいる飲み屋の勝手の側から、入口とその向こうの通りを見る典型的な小津のアングルで、まず赤い蛇の目傘(和紙で作られた伝統的な傘)をすぼめて店に入ってくる京マチ子の全身が撮られる(柄を逆さにして傘を入口に置くと、彼女は正面を向き、杉村に一本つけてくれとたのむ)。京と杉村の切り返しで撮られた対話に続いて、杉村は二階の鴈治郎を呼びにいく。降りてきた彼と京マチ子は予想どおりの小競り合いになるが、ここは入口の側からふたりの全身をローアングルで撮っている。先にあげた赤い蛇の目傘と京マチ子の立ち姿が妖艶に映える以外は、ここまでのシークエンスは見慣れた小津調だ。
小津映画にはめったに見られないシークエンスはこの後登場する。店を出たふたりが雨の降りしきる往来を挟んで、それぞれ通りの反対側の軒下に立って言い争うところである。画面左手奥には、向こう側の軒下に仁王立ちで構える京マチ子の(その右手足元には開いた赤い蛇の目傘が置かれている)、画面右寄りには通りのこちら側の軒下をわめきながら行き来する鴈治郎の全身が映し出される。鴈治郎、京それぞれの顔あるいは上半身のアップが切り返しで挿入されるものの、全身のツーショットがシークエンスの主調をなす。京マチ子の顔貌は、激しい雨だれの向こうに見えるにもかかわらず、絶妙な照明によってうっすらと浮かび上がっている。その髪は少し濡れており、あの強い眼光、仁王立ちの浴衣姿とあいまってセクシーである。この構図は、旅回りの芸人を描く本作のモチーフとして数回登場する舞台上の役者の全身ショットの構図と連携している。鴈治郎が京マチ子を恩知らずと言ってののしる大阪弁の台詞、怒りに震える身体と表情の対峙も、演劇的(こう言ってよければ大衆演劇的)である。にもかかわらず構図と光はぴたりと決まっている。このシークエンスを厚田雄春が撮れないなどというつもりは毛頭ない。しかし宮川のカメラの冴えは指摘されるべきである。
もうひとつの事例に移ろう。本作は小津がはじめてキスシーンを撮ったことで有名だが、そのシークエンスはじつに不思議なショットから構成されている。先の雨の軒下の場面の最後に、「わいの息子はおまいらとは人種がちがうんじゃ、人種が」と言われた京マチ子は、その川口浩を一座の若い美人役者(若尾文子)によって誘惑させる。鴈治郎に対して、彼の息子は旅役者に誘惑される程度の男だと見せつけようとするのである。川口は若尾の誘いにただの一度で乗せられてしまい、芝居がはねた後の小屋におびき出される。薄暗い舞台裏の通路の奥に若尾、天井の照明を間に置いて通路に入って行く川口という配置であるが、浴衣姿で誘惑する若尾の方におずおずと歩み寄っていく川口の姿を、若尾の側から捉えたショットでは、天井の照明を越えた場所で立ち止まる彼の顔が暗がりに隠れてまったく見えなくなる。「ふるえているの?」と尋ねる若尾のショットに続いて、もう一度カメラは無言の川口を捉えるが、ここでも彼の顔は暗闇の中にある。この後若尾へと歩み寄る川口を後方から映すショットが来て、ふたりのキスシーンになる。川口の姿は初々しいというよりロボットのようなぎこちなさだ。これほどそっけなく“情緒”のないキスシーンも稀であろう。ちょっとおもしろいのはこのシークエンスの締めくくりである――無人の舞台裏の天井から数枚の紙吹雪が桜のように舞い降りてくるのである。昨日のエントリーでは『浮草』と清順作品の関係について直感的な印象を書いたが、この箇所もわたしの直感の理由のひとつだ。以上のシークエンスでも、たしかにふたりの人物を交互に捉えるショットのモンタージュは小津的なのだが、下手な誘惑者とぎこちない獲物とが乏しい光の中で歩み寄り、何とも機械的にキスをするという一連のショットの内容は、特にその照明の効果のせいで特異である。
いま例示した場面に加えて、やはり舞台裏で鴈治郎と若尾文子、さらに京マチ子が対峙し、鴈治郎がそれぞれに手を挙げるシーンも、照明と陰影に宮川らしさが目立っている。プロットが戦前の芝居のスタイルであるゆえに、本作ではキャラクターどうしの感情の衝突が強調される。最初にあげた雨の軒下のふたりがそうした衝突の場面の端緒なら、鴈治郎がふたりの女に手を挙げる後半のシークエンスはクライマックスということになろう。ここでも仄暗い芝居小屋の照明の中におずおずと現れる女の顔が、彼女の歩みとともに陰に入ったり光を浴びたりし、鴈治郎に打ち据えられてよろめくときには横顔が陰影によって限られる。わたしの文章表現のつたなさゆえに、これだけではいかにも煽情的演出に感じられるだろうが、照明、色彩設計ともにやはりぴたりと決まっている。なおこのシークエンスにも紙吹雪が登場する。若尾文子を問い詰め、川口を誘惑させた黒幕が京マチ子だったと知った鴈治郎は、若尾に京を呼びにやらせる。彼女が二階から降りて来るのを舞台裏で鴈治郎が待つそのしばしの時間は無人の舞台のショットで表現され、その時に紙吹雪がはらはらと散る。
以上のようなシークエンスとそれを構成するショット、とりわけ人物の配置と照明の特異性を指して、小津作品として例外的であると言うか、それとも小津作品のもう一つの魅力であると言うかは見る人の自由である。ただ、どれほどの巨匠が制作するにせよ映画は複数の人々の協働による作品であり、また新たな技術が導入される時には試行錯誤こそが魅力となり得るということはだれにも否定できないだろう。わたしはこの理由で頑固な作家主義の立場を取らず、作品ごとに固有の面白さを見出すことをよしとしたい。