sparsisse animos in corpora humana

研究社羅和辞典改訂版の“animus”の項にキケロ―からの引用として次の一文が載っている。

credo deos immortales sparsisse animos in corpora humana(不死の神々が人間の肉体に精神をばらまいたのだと私は信ずる)

キケロ―を少しでも読んだことのある人なら、おやっと思う文言だ。ググってみると、『老年について』 77節から採られたことがわかる。原文と試訳を掲げる。

Non enim video cur, quid ipse sentiam de morte, non audeam vobis dicere, quod eo cernere mihi melius videor, quo ab ea propius absum. Ego vestros patres, P. Scipio, tuque, C. Laeli, viros clarissimos mihique amicissimos, vivere arbitror, et eam quidem vitam, quae est sola vita nominanda. Nam, dum sumus inclusi in his compagibus corporis, munere quodam necessitatis et gravi opere perfungimur; est enim animus caelestis ex altissimo domicilio depressus et quasi demersus in terram, locum divinae naturae aeternitatique contrarium. Sed credo deos immortalis sparsisse animos in corpora humana, ut essent, qui terras tuerentur, quique caelestium ordinem contemplantes imitarentur eum vitae modo atque constantia. Nec me solum ratio ac disputatio impulit, ut ita crederem, sed nobilitas etiam summorum philosophorum et auctoritas.(”De senectute”, 77)

というのも、わたし自身が死について感じていることを、あなたたちにあえて語らない理由が見当たらないからです。死からわたしが離れている距離が短いほど、それがよりよく分かるようにわたしには思えるので。プブリウス・スキピオー、そしてガーイウス・ラエリウス、わたしはあなたたちの父君、きわめて名高く、わたしにとってもたいへん親しいおふたりが、唯一人生と呼ばれる人生をたしかに生きておられると考えます。なぜならこの身体の仕組みのうちに閉じ込められているかぎり、わたしたちは必然性に属するいくばくかの務めと、重い仕事とをなすことになるからです。というのも天の魂は至高の住まいから引き下ろされ、神の本性とも永遠性とも反対の場である地上に、いわば沈められたのですから。しかしわたしは、不死なる神々が人間の身体のうちに魂を蒔いたのは、地上を見守る者たちと、天上の秩序を熟考しつつ、生き方と不変性とにおいてその秩序を模倣する者たちをあらしめるためだと信じます。たんに理性と討論だけでなく、最高の哲学者たちの卓越と権威が、わたしを促してこう信じさせるのです。(『老年について』 77節)

対格の“deos immortales”と“deos immortalis”が、研究社羅和辞典とwebで拾ってきたテクストとの間で異なるのは、格変化のバリエーションの相違であり、表記ミスではないから念のため。

対話編『老年について』の主役はカトーであり、引用箇所も彼の語りという設定だ。この文脈において、animusは天上から降りてきた魂のことである。またカトーが「わたしは信じる」と言っている内容は、神々が人間の肉体の中に精神を「ばらまいた」ことではなく、何のために人間の身体に魂が蒔かれたかの理由である。わたしの拙劣な訳文では全然伝わらないが、キケロ―のこの一節は美しい。ここでの動詞“spargo”は「ばらまく」というより、種を「蒔く」ように地上の人間の身体に魂を「植える」あるいは「配する」というニュアンスである。辞書がわかりやすい例文を引く目的で原典の一部を切り取るのはやむを得ないことかもしれないが、著者名をあげて引用する以上、その趣旨を変えるのはいいことではないと思う。“animus”のように重要で基本的な語彙に関する場合なおさらである。

 

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