トーマス・デ・パドヴァ『ケプラーとガリレイ』

多くの美点を持つ本だ。わたしが注目するのは次の諸点である。1) 近世における天文学の転換点の記述、2) ガリレイ神話の問い直し、3) ケプラーとガリレイが生きた時代の歴史的背景の記述。

1) について。ケプラーとガリレイの業績を比較する本書の構成の然らしむるところ、偉大な先人コペルニクスとティコ(・ブラーエ)がふたりに与えた学問的影響は何度も指摘される(ガリレイのほうは晩年にかけて反ティコの姿勢をますます先鋭化させるのであるが)。なかでも最終章における総括は重要である(p363-365)。著者は、コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレイの“宇宙に捧げる四重奏”を取り上げ、この分野の思考が科学史的に単線を進まず、行きつ戻りつの紆余をたどった事実を振り返っている。すなわち、惑星は太陽を中心に公転するものの、その太陽は静止している地球を中心に公転しているというティコの反コペルニクス・モデルと、これに反対する(コペルニクス主義者としての)ケプラーとガリレイ、しかしその力学的直観ゆえにケプラーの楕円軌道モデルを肯んじえないガリレイの態度(ケプラーはニュートンを先取りして天体間の引力を想定していたのに対し、ガリレイはこれを形而上学的とみなし、彼自身の力学体系の核心をなす慣性の法則を拠りどころに、惑星の軌道は円を描いていなければならないと主張した)という、まさに近世宇宙論の枠組みが出来上がりつつある過程を活写する。この時代において、ティコの観測データの精確さを凌駕する資料はなかったのだが、ガリレイは望遠鏡を用いてティコとは異なる観点からいくつもの発見をする(e.g. 木星の4個の衛星、月のクレーター、太陽の黒点、金星の満ち欠け)。これらの発見がガリレイを時代の寵児にするけれども、彼は必ずしも自分の発見を体系的な宇宙モデルと結びつけることはできなかった(彼の発見はいずれもコペルニクス・モデルの確認に留まり、ケプラーの楕円軌道モデルやニュートンの天体間に働く引力に比肩する、まったく新しい宇宙論の開拓には至らなかった)。

2)について。これはけっして本書の主題ではない。しかし、本書を読み終わって強く印象に残るのは、今に至る強固なガリレイ神話の無根拠さである。著者はケプラーとガリレイの業績そのものについてはきわめて公平な姿勢を保っている。しかし、ガリレイが自身の立身のために「皇帝付数学者」ケプラーを利用したこと、自らの偉大な発見を必ずしも時代のすべての学者のために役立てようとはせず、己の名声獲得のために利用したこと(それどころか自分に反対する学者たちに対しては、彼らのほうに根拠があると知りながら罵詈雑言を投げつけたこと)、晩年の異端裁判において保身のために自分の主張を曲げたことなどについて、傍証を挙げて容赦なく指摘する。ピサの斜塔での「実験」や「それでも地球は…」発言などに関しては、それらがたんなる作り話であろうとまで直言するのである。

3) について。わたしが本書に感銘を受けた最大の理由はここにある。ケプラーとガリレイが生きた時代は宗教改革後、三十年戦争に突入するヨーロッパ史の大転換期だった。彼らはまったく異なる出自であるものの、この時代の荒波に翻弄される。本書の冒頭には、ふたりの人生のおそらくクライマックスにあたる出来事が描かれており、叙述は次第にその前史と後史へと進む。なかでも読者に重い感慨を抱かせるのは本書第三部における後史の展開であろう。そこでふたりは決裂するばかりでなく、それぞれの軛を負って生を終えなければならない。こうした叙述の構成は、わたしには歴とした悲劇のそれを思わせる。ケプラーの辿った行路(当時の神聖ローマ帝国の都プラハが、傭兵の反乱によって陥落寸前となるのを目の当たりにした経験、再婚をめぐる面倒で愉快な経緯、彼のSF的著作『月の夢』も一因となって母を襲った魔女裁判等々)と、ガリレイとケプラーを結ぶ意外なもうひとつの絆である音楽(ヴィンチェンツォ・ガリレイの音楽理論が仲介者である)をめぐる記述は特に読み応えがあった。

トーマス・デ・パドヴァ著・藤川芳朗訳『ケプラーとガリレイ 書簡があかす天才たちの素顔』(白水社、2013年)

Thomas de Padova, “DAS WELTGEHEIMNIS―Kepler, Galilei und die Vermessung der Himmels”

ちなみに著者は2013年に『ライプニッツ、ニュートン、そして時間の発明』を刊行している(『ケプラーとガリレイ』、訳者あとがきによる)。

 

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