青江舜二郎訳のフレーザー『火の起源の神話』(角川文庫)を読んでいたら、最終章「要約と結論」の訳注に、「ひょっとこ」の話が出てきた。かつて冗談半分にロメール作品に登場するひょっとこ面の男たちについて書いたついでに、「ひょっとこ」の語源をめぐる仮説のひとつ(青江氏が本書の訳注で紹介されているもの)を孫引きしておく。
この説によると、ひょっとこは“火男”で、「もっぱら火をあつかっていた特殊の人間あるいは部族」を指す。なるほどあのとがった口もとは、起こした火を“吹聴”しようというもくろみによるものだったか。フレーザーの『火の起源の神話』には日本のそれについての詳述はないので、あくまでこの仮説は訳者青江氏の紹介によるものである。
ひょっとこという語の剽逸な感じに対して、火男の方はまるで石川淳や中上健次だが、遠い昔「もっぱら火をあつかっていた特殊の人間あるいは部族」があったとすれば、それは神の遣いのように敬われたはずである。よってひょっとこ侮るべからず。無理やりオチをつけるとすれば、やはりロメールおそるべしというところか。