『謎のトマ』(41年初版の篠沢秀夫訳)

『謎のトマ』41年初版の邦訳が出た(篠沢秀夫訳)。これは画期的な訳業である。まず原版(ガリマール、2005)の裏表紙の紹介文をご覧になってほしい。
初版の刊行以来再刊がなされていなかったことがわかる(50年出版の短縮版は何度も再刊されているにもかかわらず)。http://www.mauriceblanchot.net/blog/index.php?post/2005/11/15/108-maurice-blanchot-thomas-lobscur-version-de-1941
すでに2005年の再刊時点で『さらにまったく謎のトマ』(“Thomas plus assez obscur”) という評言がなされたくらい、本作は何も解決しないという点で見事なまでの作品である。
作中の2人の女の関係はどうなっているのか、2人はどこで出会ったのか(パリの映画館の場面の前後を注意深く読まれるように)、特にアンヌのトマへの問いはどのようにトマに受け止められたのか(あるいは受け止められなかったのか)、最終場面のトマの歩みは何処へ続くのか(あるいは続かないのか)等々、作中にこれらの謎を解く鍵はおそらくない。もちろんトマとは何者かという謎については永遠に答えは出ないであろう。
これほど妙な作品を、カミュの『異邦人』とほぼ同時期に書き、『異邦人』に先立って出版し(占領下のパリでこの書が出たということが驚きだ)、一切同時代からの反応は得られなかった。しかし、何も解き明かさないこの書の提示した謎に対しては、結局その後のブランショ自身が、小説と批評双方の形式を通していくつかの接近の試みを示さざるを得なかった。
『異邦人』の文体と比較してみると少し驚きであるが、『謎のトマ』の方が直喩が多い。ただし後者の地の文は隠喩とも事態のたんなる報告ともつかない淡々とした記述で、トマと女たちの変身(文字通りの変身である)と死を描き出す。しかし、その直後に再び彼らは活動を始める。いったいこの直喩は、なんのための表現なのだろう。
本作には以後の作品に受け継がれるいくつものモチーフがある(『トマ』においては展開され尽くされなかった近親相姦のモチーフは『至高者』へ、穴掘りのモチーフは『アミナダブ』と『至高者』それぞれへという具合)。
41年版と50年版の比較も興味深いはず。篠沢訳の到来はまことにありがたい(あまりに多くの誤植にはせめて正誤表を出してほしいけれども)。

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