映画製作について

岡崎乾二郎の驚異的な作品『ルネサンス 経験の条件』の一節に、サンタ・マリア・デル・フィオーレのドーム建設にあたってブルネレスキが考案した数えきれない妙案のひとつとして、職人の昇降の労を減らすため、矢筈に組まれた二層構造のドームの煉瓦の合間に、なんと厨房を作ってしまう一例があげられている。

わたしの連想はここから現代の映画製作へと進む。このたびのペッツォルト映画祭の感想は、ほとんどすべてひとつ前のエントリーに書いたので、今回はただの雑感である。一年前、同じアテネフランセ文化センターとゲーテ・インスティトゥートによるアレクザンダー・クルーゲ特集というすばらしい催しがあり、連日東京ドイツ文化会館に通ったことを思い起こしながらこれを書いている。

わたしのようなただの映画観賞者にとって、撮影現場のごたごたは想像するしかないものだ。古くは『アメリカの夜』や『パッション』のような作品が、ごたごたを多少ともきれいごととして見せてくれたし、最近ではミゲル・ゴメスのものすごい3作品が、撮影現場をそのまま描いたものではないにせよ、映画を撮るということについて興味深いドキュメントを提出してくれている。

何を言いたいのかと言えば、映画を撮るのは骨が折れるなあということだ。現場を仕切るのはブルネレスキのような超才ではないからである。

ペッツォルトのチームは、15年近くだいたい同じメンバーで構成されており、登場する俳優もリピーターが多い。ハリウッドの即席混成チームなどの場合とは異なり、おそらく息の合った仲間が、監督の構想を強く支持して作品を作り上げているのであろう。

このような、今日では例外的な映画製作の現場にもいろいろな困難はあると思う。たとえば“Die innere Sicherheit”の、夫婦のファックのあえぎ声は、ベッドシーンなしの音声収録であるためかえって大変だったことが想像できる。同作品には、そのあえぎ声をあげている(本人の声であるかどうかは知らないけれども)父親が、娘役のユーリア・フンマーから「聞こえていたわよ、仲直りしたのね」と言われ、恥ずかしそうに「…親のあの声は最低だな」と答え、さらに「喧嘩よりましよ」と励まされる場面がある。観ている側からすればそれだけのシーンのために、何度もあえぎ声を工夫したスタッフの作業がしのばれ、たいへんだなと思いつつも楽しい気分になる。

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