音楽のマニエリスムについて(モーツァルトの場合)

マニエリスムを仮に次のように定義してみよう――偉大な先人のmanièra(流儀、手法、様式)の分析をそのマニエラの再現を通して達成しようとする芸術の一様式(分析されるマニエラは分析する側のマニエラによって表現されるので、規範の盗人的表現には必然的にアレゴリカルな意味と、表現のねじれ、歪曲、屈折が生じる)。よい喩えではないが、マニエリスムは、生命とは何かを理解するために生命を創造しようとする試みに似ている。

西洋美術史におけるマニエリスムは、ミケランジェロという、それ自身ルネサンス様式の歪曲を内包する最後の巨匠を契機に誕生した。一方西洋音楽史において、これに相当するマニエリスムを見出すのが困難である理由の一つは、幸か不幸か(わたしは幸だと思うが)、西洋音楽のルネサンスの中心が16世紀にはイタリア半島からフランドルに移り、フランドル楽派の豊かな成果が本家イタリアのフレスコバルディとモンテヴェルディに代表されるバロック盛期の新たな展開を準備したこと、そしてもう一つの理由はミケランジェロに匹敵する様式の大成者を西洋音楽に求めるとしたら、それは美術のルネサンスより数世代後、バロック後期のJ・S・バッハであって、幸か不幸か(わたしは不幸だと思うが)、彼の晩年にはすでにそのマニエラが(ミケランジェロの晩年の作品に対する時代の反応とは逆に)時代遅れとみなされていたことにある。

仮にマニエリスムの規範となるマニエラを、美術史の場合のようにルネサンスのそれに求めず、冒頭にあげたようなより一般的な見地から偉大な先人のそれとしてよいのなら、音楽のマニエリスムはJ・S・バッハを手本に生まれたW・A・モーツァルトとL・v・ベートーヴェンの作品に求めることができる。こうした観点がこれまでほとんど採用されなかったのは、モーツァルトとベートーヴェンという二人の作曲家がそれぞれ独自に成し遂げた成果があまりに大きく、バッハと古典派の間に様式の境界を置かないわけにはいかなかったからである。

とはいえこうした様式の劇的な転換にあたってさえ、手本とされた前時代の様式が周到に模倣され、模倣自体に意味が求められるのは当然である。ただ西洋音楽の場合、偉大な先人の成果が分析される過程において、分析の鋭さと同じくらい怜悧で独自な創造が生じ、分析という当初の擬似的目標が乗り越えられてしまった。したがって、西洋音楽史にマニエリスムを認めることはできるものの、それは美術史の場合のように必ずしも目覚ましい様式ではない。

モーツァルトの場合、事情はさらに屈折している。というのは、彼が手本としたJ・S・バッハがすでにバロック後期の作曲家であって、バッハの音楽自体にパレストリーナからヴィヴァルディに至るルネサンス、バロックの精華が取り込まれているだけでなく、スウェーリンクからブクステフーデに至る北方オルガン音楽の豊穣がそっくり流れ込んでいるからである。バッハの音楽が徹底的な分析と総合から成り立っている以上、モーツァルトには美術史におけるマニエリストたちが行なったような優雅な分析の余地はもはや残されていなかった。

にもかかわらず、わたしはモーツァルトに音楽のマニエリスムを見て取る意義があると考える。なぜなら彼の音楽のオリジナリティには、同時に常に過去の音楽的遺産の影があり、それこそがあの希薄さ、フィネッスの理由だからである。モーツァルトの音楽は音楽史的には比類のないものだが、しかしその内実はきわめて脆い。この希薄さ、脆さはマニエリスムの特色ではなかろうか。

とりわけ彼の最晩年の作品には、偉大な先達の分析(それはすでに分析し尽くされたものの分析である)と、さらには自身がなし遂げた成果の分析の結果を聴き取ることができる。わたしがここで想起しているのは『ティート帝の慈悲』である。このような唯一無二の作品については、その成立の理由をただモーツァルトの現世の生命の終焉にのみ求めるわけにはいかない。ヨーロッパ近世音楽の複雑な成立事情をマニエリスムという観点から見ることによって、こうした作品の価値が正当に評価されるとわたしは思う。

 

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