『青白い炎』27行とニコラス・ブレイク『死の殻』

『青白い炎』というエントリーの最後の節で、わたしは「後ろ向きの足跡の事件」が『バスカヴィル家の犬』を指すという意見の問題点を示し、27行の「シャーロック・ホームズ」は「アルセーヌ・ルパン」に取って代わったのではないかという説を掲げた。その後の注意深い検討の結果、もう一つ興味深い仮説の可能性が発見されたので、ここに謹んで報告させていただく。

江戸川乱歩のミステリについての評論の一つに、「類別トリック集成」というネタバレのパレードのような記述を含む労作『続・幻影城』がある。この「類別トリック集成」には、もちろん「足跡トリック」という項目があり、そこには18例が挙げられている。しかし、意外なことにその18例からはこのトリックの元祖というべきルブラン「雪の上の足跡」が漏れている(同じく『八点鐘』に含まれる、足跡トリックを用いたもう一つの作品「テレーズとジェルメーヌ」については、「密室トリック」(3) 「犯行時、被害者が室内にいなかったもの」において言及されているので、これは不思議なことである)。

代わりに「あとじさりに歩いて、来たのを帰ったと、また、帰ったのを来たと見せかける」という項目の例として、「ニコラス・ブレイクの長編」、「私の『何者』」の2例が挙がっている(「私」とは乱歩本人)。ニコラス・ブレイクは乱歩による『野獣死すべし』の激賞によって日本でその評価が確立された作家で、英文学にくわしいかたであれば、桂冠詩人セシル・デイ=ルイスのペンネームに他ならないことをご存じであろう(息子はダニエル・デイ=ルイスである)。わたしもニコラス・ブレイクが大好きで、このたびの書庫の移動にあたっても、ポケットミステリ版のブレイク諸作は捨てずに持ってきていた。

さて本題である。何と、このブレイク、すなわちセシル・デイ=ルイスの母方の傍系親族に、オリヴァー・ゴールドスミスがいるという(系図はここ。他に“Cecil Day Lewis (Cecil Day-Lewis) was born in 1904 at Ballintubbert, Queen’s County, in Ireland, where his father, the Reverend F. C. Day-Lewis, served as a curate. His mother, Kathleen Blake Squires, claimed distant relationship to Oliver Goldsmith, while the poet himself once reported a connection between his grandmother and the family of William Butler Yeats.” 出典 “British and Irish Poetry, Revised Edition”)。

このゴールドスミス(Oliver Goldsmith 1730-1774)こそジョン・シェイドが『青白い炎』で採用した詩型ヒロイック・カプレットの名手であり、チャールズ・キンボートの借家の持ち主、ゴールズワス判事(Goldsworth、ゴールドスミスとワーズワースWordsworthの音節を交換したナボコフの言葉遊び)の由来に他ならない(シェイドの『青白い炎』48行にも、Goldsworthの名はWordsmithと並んで登場する)。

わたしは所持するニコラス・ブレイクを段ボールから引っ張り出してみた(ポケットミステリは本棚に収まる予定が立っていない)。それらのいずれも「後ろ向きの足跡の事件」ではない。困惑していろいろググった結果、ブレイクがこのトリックを採用した作品は『死の殻 Thou Shell of Death』(1936)であるらしいことがわかった。『証拠の問題 A Question of Proof』(1935)に続く、ブレイクのミステリ第2作である。何ということであろう、わたしは『死の殻』を読んでいない。まだ古書で容易に入手できるので、これから読むつもりであるが、この1936年発表のミステリをナボコフははたして読んでいたのだろうか? また仮にそうだったとして、ナボコフはニコラス・ブレイクがセシル・デイ=ルイスのペンネームであり、彼がゴールドスミスの傍系親族であることを知っていたのだろうか? もちろんコーネル大学の教員たちが集まる談話室で、この種の話題がいくらでも出ただろうことは推測できる。

シェイド『青白い炎』27行のhe(the fellow)は、シェイド宅に面した道路に後ろ向きの足跡をつけた雷鳥(鳥類の足跡は矢印→の形になるが、歩いている向きは→とは逆である)の仲間であり、雷鳥はhe(the fellow)をシェイドの家のすぐ裏で見つける(このright behind my houseが、隣家であるGoldsworth 邸を指していると考えてはいけない理由はない)。

『死の殻』を読んでみてからあらためて結果を報告したい。仮に『青白い炎』の詩句とブレイクとの関連が認められたとしても、この詩句における「シャーロック・ホームズ」の意味は謎のままに留まるだろうし、そもそも「空白の頁に左から右へ、後ろ向きの足跡をつける」という詩句がマラルメ的な詩作の無為への言及であることは明白なので、それが雷鳥やシャーロック・ホームズとどのように結びつくのかをやかましく追求してもたいして意味はないことをあらかじめお断りしておく。

 

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