ミステリという形式

ニコラス・ブレイク『死の殻 Thou Shell of Death』(1936)はおもしろい。創元文庫にブレイク作品は多くはないはずであり、本邦初訳が2001年になってせっかく出た以上、品切れにしておくのはもったいない(英文学史に関連する注はていねいであり、翻訳もよくこなれている。ただtempora mutanturが「テンポーラ ムタントゥア」と誤ってカナ書きされているのは困る――英語訛りという言い訳は通用しない。ムタントゥアはともかく、ラテン語をわざわざ引用する英国人が tempora のo を長母音で発音することはない)。

『青白い炎』との関連で言えば、物語の要所を抜きにしても、2頁目からナイジェル・ストレンジウェイズがポープのカプレットを口ずさんだり、伝説的な飛行士ファーガス・オブライエンが駒鳥を含む鳥たちをかまってみたりと、ナボコフを喜ばせたに違いないと思われる箇所が随所にある。本題はあらためて書くことにする。

久しぶりにミステリらしいミステリを読み、ミステリという形式が19世紀末から20世紀半ばにかけてのイギリス文学の所産であることを再確認した。貴族の領地で事件が起こり、オックスフォード出、無職、ブルジョアの探偵がロンドンと現場を往復しつつ、没落(途上)貴族あるいは富裕層の依頼人および被疑者との間で含みの多い会話を交わしながら謎を解いていくというお決まりのコナン・ドイル的な設定。これはヴァン・ダインとエラリー・クィーンの場合でも基本的に同様だが、後発国アメリカが舞台であるゆえに探偵にも依頼人にもブルジョア趣味が濃くなる。たぶんミステリという形式が一般市民の読み物になったきっかけはアガサ・クリスティの作品だろう。彼女の作品にも、先に述べたシチュエーションはそのまま維持されているものの、その語り口はずっと平明だ。英国の没落と、ミステリの設定および文体の推移とを関連づける論考があるとすれば興味深いことだろう。

 

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