Credo(論理と文章体を結ぶ倫理について)

論理と文章体とが無媒介につながり得ると考える人は、ロジシャンにもライターにも存在しないはずだ。では両者の媒体は何か。わたしはエートスであると考える。他人を説得するのではなく、真理(いちいちの命題が主張しようとしているという限りでの、小文字の真理である)をもたらそうと努めるエートスである。このエートスに従う文章は、書き手がそれを意識しているか否かに関わらず、要所において自分の(その文章の)主張が真であることの根拠を示している。

巷に溢れるライティングのノウハウに関する言説が取り違えているのはこのことだとわたしは思う。いわく他人をいかにして説得するか、いわく論理的に文章を“構成”するとはどういうことか。こうした言説には往々にして肝心のエートスが欠落している。

論理と文章体とが、真理をもたらそうと努めるエートスに媒介されている限り、その文章がどれほどおちゃらけたものであったとしても、必ず文章体の零度を実現するだろう。それこそ論理と文章体を結ぶエートスの証拠である。

 

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