説得について

だれが書いたのか忘れたが、科学コミュニティに強力な新説が登場するとき、旧説支持者は説得されることはほとんどなく、いわゆるパラダイム転換が起こるのは、彼らの“死後”になってからだという。当否はともかく、人がそんなに簡単に説得されないことは日常の経験を通じても明らかだ。

話は変わる。わたしの記憶している最初の引越しは幼稚園の時のそれである。幼かったので、遊び友だちとの惜別の感情などはなかった。それより新しい家で自分用の部屋が与えられたのがうれしかった。すぐ小学生になり、同時に学習机を買ってもらった。

この頃からわたしの性格は本来の陰鬱な傾向を示し始める。今に至るまで基本的にわたしは引きこもりだが、そのひきがねを引いたのが自室の居心地であったことはたしかである。わたしは夕食後たいてい自室に退き、机に向かって好きな本を読んだり、今後の計画を立案したりしていた。小学校に入ったばかりのわたしの企画の一つは夢見がちな子どもによくある(とわたしは理解している)、架空の年代記制作だった。なぜそういうことを考えついたのか思い出せないが、とにかくある王国の歴史を、始まりから現在に至るまで描いてみたい。学習机の一番幅の広い抽斗には大きなスケッチブックが入っており、そこに年代記のプランが素描されていた(必ずしも時系列のメモではなく、王国の地図、主要な戦争における味方と敵の対峙の見取り図、重要人物の関係表などを含む)。

しかし、この企画を年代記執筆に移す段階になって、わたしは大きな不安に襲われた。歴史をどう書いたらよいのかについて何も知らなかったからである。今わたしは他に用語を思いつかないので「年代記」と書いているが、当時のわたしがやりたかったことは、別に文章による歴史の再現ではなかった。手段は絵を描くこと、文章を書くこと以外になかったけれども、とにかく歴史の可視化が目的であった。

両親はわたしに数十巻からなる歴史書を与えてくれた。おわかりのように、それでわたしの年代記制作は永遠に頓挫することになった。世界の歴史が思いの他退屈だったからである。

しかし、こうした経験がわたしに文章を書くおもしろさを教えたのはたしかだ。年代記の完成には至らなかったものの、いくつかの断片を文章化しようとする努力は幼いわたしにもできた。この作業は徹頭徹尾自分のためのものであって、書かれたものが他人に読まれる可能性を当時のわたしが想像したらぞっとしたはずである。

一方で小学生の頃のわたしも、学校の作文等の公的文章を書かざるを得ないことがあり、そうするのがふつうだと思って書くたびになぜか周囲のおとなたちから文章を褒められたため、次第にこれはつぶしがきくかもしれないという下心を感じ始める。しかし、先に述べた文章との出会いの方がそういった下心に先行していたということを、わたしは今、自分のために証言しておきたい。

これが何の話なのかといえば、わたしにとっては書くということが、ある架空の年代記的なものを制作するという以上の意味を、もともと持っていなかったということである。人は歳とって賢くなるのであろうが、わたしは例外で、今も同じことを続けている。

その後のわたしについて多少の弁護をすれば、やはり文章を書く仕事をいくばくかしてきた。正直に言うが、そうした仕事を通じてわたしはただの一度も人を説得しようと思ったことはない(かつ説得力というものほどわたしから遠いものはない。ある時わたしは「ブーメランの笛吹き男」について友人たちに何かを力説していた。ひとわたりわたしの話が終わると、あくびをしながら聞いていた友人の一人曰く「おまえが話すとブーメランでも何だか説得力があるな」。わたしが話したかったのは「ハーメルンの笛吹き男」の伝説についてだった。この程度の説得力ならわたしにもあるという例証である)。

なぜ文章による他人の説得ということをわたしは信じられないのだろうか。第一にわたしにとって書くことは常に頓挫する架空の年代記制作だからであり、第二にわたしは他人のことを理解できないからである。

世の中に、文とロジックが他者に対する説得の技術程度のものだと言う人がいるのを見るとわたしが驚く理由の一つには、(長くなってしまってごめんなさい)以上のような個人的な経緯がある。

 

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