あんあんあんについて

高見順「午後」(1941年1月「新潮」に発表)は、数え年で2歳になる娘が可愛くてしかたがない34歳の文筆家の親馬鹿ぶりを丸出しにした私小説である。今の34歳ならまだ青年の部類だが、当時はれっきとしたおっさんだ。高見(1907年生まれ)は1933年に治安維持法違反容疑で検挙されたり(取調室で小林多喜二殺害を自称するようなろくでもない警察官らに拷問を受け、転向を表明して釈放されている)、最初の妻との離婚後、1935年に第1回芥川賞候補になってその年に再婚したりと、波乱に満ちた青年期を送ってきた。2度目の結婚から数年を経ても子宝には恵まれず、子供については半ばあきらめかけていたが、1939年に女児が誕生する。仕事も順調で、作家としての評価が確立されつつあった頃である。

数え年で2歳になると、そろそろ子供はことばを覚え始め、家族と会話の真似ごとをするようになる。この時期の娘の可愛さは高見にはたとえようのないものであった。彼は当時、母親、妻、そして由紀子と名づけられた娘とともに、お手伝いさん付きの一軒家に住んでいた。執筆は2階の仕事部屋で行われ、たいてい深夜から早朝に及ぶのだが、階下から娘の声が聞こえると、忙しい時でもついその顔を見に降りて来る。可愛さのあまり、娘が嫌がることはわかっているのに乱暴に抱きしめてしまい、時には「イヤ、イヤ」と泣かれる始末。ちょっと引用しよう。

《――そんな亂暴な眞似をしない場合だつてある。
「ユーキコちゃん」
自分を殺したそんな猫撫聲を出して、彼の妻か母親が遊んでやつてゐるのの、仲間入りをする。
「ユーキコちゃん。はーいと言はないの」
「はーい」
「よし、よし」
彼は悦に入つて自分の顎を掻く。
「おい、お茶を入れてくれ」
と妻に言ふ。妻は、
「一休みなさるんですか」
と彼に言ふ。
「う、うん」
曖昧に返事すると、
「由紀子ちゃん、パパにお願ひして、おんもにあんあんあんに連れて行つていただいたらどう」
「あんあんあん」
と身體を振る。匍ふことは達者だが、まだ歩けない。これを抱いて外を歩くと、子供は歩く調子に合はせて、あんあんあんと身體を振るのである。》(「午後」、『高見順全集』第10巻。傍点略)

作者が親馬鹿を自称するだけのことはあって、ご覧の通り文体がすでにめろめろである。とはいえこんなふうにあんあんあんなどとやられたら、そうなるのもむりはないように思える。

物語にはいちおう次のような筋書きがある。仕事を“一休み”して由紀子をあやしに降りて来るひまがあるのなら、たまには外に連れ出してやったらどうかと促す妻を尻目に、いやひまではないと言い訳をしながら「彼」は仕事部屋に戻ってしまう。こんなふうに、自分の子供への愛情は我儘なのだと「彼」は思う。そんなある日のこと、女学校に通うお嬢さんを持つ、上品で美しい女流作家と会合で顔を合わせた「彼」は、彼女と親しい別の作家から聞いた次のようなエピソードを思い出す。最近この作家が女流作家と電車に乗り合わせたとき、たまたまそのお嬢さんが友だちと同じ車両に乗ってきた。お嬢さんは母親に気づいたはずなのに、わざと彼女に背を向けて知らんぷりしている。女流作家は「娘は、外であたしに会うと、いつもああなんですよ。母親を友だちに見せるのが恥しいのね」と言ったそうだ。――「彼」は将来由紀子から、自分も同様の扱いを受けることになるのだろうかと想像し、また子供の頃、母親といっしょに外出するのを恥じていた自分を思い出す。そして、「俺は全く親不孝ものだ。そして子供にだって、可愛い可愛いと自己満足しているだけで、なんという父親であるか」と悄気てしまう。反省した「彼」は、明日晴れていたら家族4人で動物園にでも出かけようと考える。

ブログのエントリーにさえならないような、まったくどうってことない話である。ただ高見順の生い立ち、特に母と過ごした「彼」の幼年期のことなどを思い浮かべながら読むと、小説の題材になっているとはいえ、家族を大切にしなければいけないという「彼」の気持ちは真剣だったのだろうな、という感慨をわたしは持つ。

1941年から50年までの短篇を収めた全集第10巻の目次を見ると、発表順に「午後」「香港の黒死病」「朝の花瓣」「東京暮色」(小津安二郎監督の同じタイトルの戦後の作品とは無関係)と並ぶ。さて「東京暮色」の次は――何と「由紀子の死」なのだ。そう、あんあんあんは、「午後」(発表は41年1月だが、執筆は前年11月)が書かれたわずかひと月後(1940年12月)に突然病で亡くなってしまうのである。「由紀子の死」という作品のなかにも、あんあんあんのエピソードが出てくる。そして何より悲しいのは、「午後」の終わりのところで「彼」が思い立った、家族4人で外出しようというあの決意が果たされるのが、病院で亡くなった赤ちゃんを自宅に連れて帰るときであったということだ。

蛇足であるが、ドラえもんのうたのあんあんあんと、高見順の作品とはおそらく無関係である。

 

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