シネマスコープ映画の技法がTVドラマにもたらしたもの

シネマスコープ(以下シネスコ)はスタンダードサイズの縦横比を横に2倍にしたもので、プログラム・ピクチャー量産時代にフィルムを節約する目的で開発された(スタンダードの1コマを2分割してそこに2コマ撮れるから)。マカロニウェスタンがこのサイズを好んで用いた結果、60年代後半から80年代初頭にかけて、大衆向けアクション作品などに浸透していった。

しかし、そもそもフィルム代節約のために導入された規格である以上、従来との比較で映画製作に会社が多額のコストを費やせなくなっていたこの時代に、ジャンルを超えてシネスコが普及したのは当然だった。そして、大衆の娯楽の首座が映画からTVへ移った 70年代にTVドラマ製作を担った撮影所出身のベテラン映画人なり若手ディレクターなりが、あるいは自身の経験を通じてシネスコ画面の構成を熟知しており、あるいはシネスコ映画を見て育ったという事情が、シネスコのために考案された映画の撮り方をTVのスタンダード画面に移植するという歴史的経緯をもたらしたのである。シネスコ規格とTVの登場とが、映画の大衆化と、大衆の需要を開発し、それを長期的で安定的なビジネスの基盤とするための新技術(放送)とによって後押しされたことを考慮すれば、いま指摘した歴史的経緯は偶然の産物ではない。

日本でもマカロニウェスタンとその影響を受けたハリウッド作品は60-70年代の観客を引きつけたが、それだけでなく、邦画時代劇へのシネスコ導入を通じて、こちらのジャンルのファンにもこの画面特有の構図とカメラワークの特性を肌で感じさせることになる。

スタンダードと比べて異様に横に長いサイズは、映画館でもよほど後方に席を取らないと観客に全画面の概観を許さず、慣れていないとかぶりつきで見ている感じ、かぶりつきが下品だというのなら、スクリーンに取り巻かれている感覚をもたらす。

その上マカロニウェスタンが採用した荒野の茫漠たる広がりの中にぽつんと登場する馬に乗った孤独なガンマンの大ロングショットに代表されるダイナミックな(時には下手な屏風絵のようにだらだら広がる)画面が、観客を圧倒しにかかる。もう一つ重要な特性はこの大画面におけるカメラの横方向へのパンで、たとえば群盗、バッファロー、騎兵隊などが雪崩をうって駆け抜けるさまが撮られたときの迫力は相当なものである。こうしたアクション映画らしい技法が、邦画時代劇に移植される際、だれもが思い浮かべるのは忠臣蔵のような群像劇への応用だろう。特に忠臣蔵の討ち入りの場面を俯瞰(見下ろすカメラアングル)で捉え、赤穂浪士たちの細心かつ機敏な動きをパンで撮って見せれば、たいていのお客さんは手に汗を握る。

ただし、観客の中には意地の悪いやつもいて、シネスコ画面がスタンダードの横割りに過ぎないことを十分に意識している場合もある。要するに見かけのダイナミズムはスタンダードサイズをぶった斬った効果に過ぎず、そのつもりで見れば(あたかもスクリーンの上下にカットされた画面があるかのように見れば)、そんなものはこけおどしなのである。たとえば顔のクロースアップはどうだろう。横半分に余分な後景が映っていたり、そうかと思えば画面いっぱいに顔を捉えた結果、頭のてっぺんや顎から下がざくっと切り取られてしまう。まるで妖怪ではないか。しかしこのような極端なクロースアップも、見ているうちに一種の様式と感じられるようになるので、後にスタンダードサイズでTVドラマが撮られる時代が来ても、やっぱりこのあざといアップは残存するのだ。

さて先のような意地の悪い観客が監督となってシネスコ映画を撮るとどうなるか。シネスコの巨匠と言えば加藤泰を措いて他にない。彼も時代劇をシネスコで撮っていたときには、大ロング、俯瞰のパン(『風と女と旅鴉』の街道を駆け抜ける錦之助)、仰角(=見上げるショット)気味に顔を大写しするアップなど、マカロニウェスタンやハリウッド・アクション映画とも共通する話法を用いていており、それらを本家よりもずっと洗練された構図とカメラワークで演出した。しかし加藤泰について驚くべきは、シネスコ画面を用いた遊びの技法がどんどんエスカレートしていき、もはやTVドラマへの移植などを考えることのできない次元に到達してしまうことである(だから以下の話は本稿の主題からの若干の脱線であることを了承願いたい)。加藤のシネスコ時代劇作品にもお得意のローアングルと長回しが登場し、これらがシネスコ映画の撮り方に新風をもたらしたことは言うまでもない。しかし、ローアングルも長回しも、小津や溝口の仕事を想起すればすぐ了解される通り、別にシネスコに固有の手法でもこれを使い倒すための手法でもない。加藤の後期作品の中で、シネスコを遊び尽くしたフィルムと言えば、松竹で撮られたモノクロ作品『みな殺しの霊歌』だろう。まったく妙なシナリオ(団地の一室に集まってブルーフィルムを見ていた5人の女たちに、洗濯された衣服を届けにやってきたクリーニング店店員の少年が輪姦され自殺してしまう。彼とほんの一時言葉を交わしたことがあるだけのいわば通りすがりの男が、自分にはかわいい恋人がいるにもかかわらず、少年を輪姦した女たちをひとりずつ殺していく)に導かれて犠牲者の恐怖の表情と暗がりから浮かび上がる殺人者の顔とをアップで交互に捉える音楽的モンタージュ、団地、下町、駅舎など殺風景な景色のローアングル、前景の遮蔽物の隙間を透して奥の人物を映し出す(わざわざ横長のシネスコ画面に挑戦するかのような)縦の構図等々、シネスコで撮るということの一つの極北(極北だから極寒です)!

脱線を終え、シネスコ映画から生み出されたTVドラマ技法という本題に戻ろう。忠臣蔵に代表される時代劇アクションがTVドラマ化される際、TVの画面が当初スタンダードだったにもかかわらず、まるでTVの左右に倍の広がりがあるかのような横のパン(殺陣の場面の定番)、風景(なぜか波打ち際や断崖絶壁が多い)を捉える思わせぶりな大ロングショット、これでもかという感じの顔のアップなどのシネスコ技法の名残りが導入された。いまだに2時間物のTVドラマ(アクション作品に限らない)にはこうした手法が頻出するので、60-70年代映画がこの分野にもたらした影響は半世紀間持続するだけの力を持っていたということになる。

この時期の邦画はジャンルや作風を超えてシネスコで撮られたものが圧倒的に多いのだからむりもない。先に見た時代劇の他に、シリーズ『仁義なき戦い』、梶芽衣子のアウトロー路線とこれに刺激された“新宿”アンチヒーロー作品(こんな括りは存在しないが、とりあえずいま作ってみた)、大島渚とATG映画、格調高い巨匠では加藤泰の他に成瀬巳喜男(とりわけ『乱れる』における)、川島雄三、森一生、鈴木清順、そして何より日活ロマンポルノとその先駆者増村保造の諸作。

昨日、わたしは増村保造のシネスコ作品を3作だけ取り上げ、後期の増村がTVの仕事をしたことを根拠にシネスコからTVドラマへという系譜について言及した。ただ、昨日のエントリーの主題はその点になかったため説明不足である。よって今回あらためてこちらの論点をクロースアップしてみた。

 

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