『荒魂』

石川淳の小説の文体はそれぞれに固有性を持ちかつ他と響き合う、次のようなレイヤー(階)によって構成されている。1) ツーと言えばカーと答える、間然するところのない演劇的な台詞の応酬、2) 急展開する出来事を描き出す粗くふてぶてしい記述(『荒魂』ではとりわけ殴り書きのような性交の描写にこの特色がよく表れている。他にも、鶏窗の敷地に侵入した佐太を制止しようとした照子に向かって全身陽根と化して迫る佐太、トルコ風呂に赴いた秋作と彼をカモろうとする与太者たちの乱闘、花売り娘たちを従えて通りを行く佐太等々、この世界ではこういうことが当たり前に起こると言わんばかりの記述を見よ)、3) 他の登場人物に対して語る必要があるときにだけ、最低限度の事柄しか口にしない人物たち(佐太に至ってはそもそも言葉を必要としない)に代わって、この世界のモラルを比較的饒舌に語る語り手(モラルと言ってもそれは “善と悪の彼岸は必ずしも優良と劣悪の彼岸ではない” というニーチェの言明が明らかにしているようなそれである)。

3つのレイヤーは途切れることなく移行する――出来事の粗い描写(2)はいつの間にかモラリスト風饒舌(3)を引き出し、小気味よい台詞のやりとり(1)が出来事の粗い描写(2)と響き合いながら物語を推進させる。これらのレイヤー間の巧みな反響が、石川淳の小説文体の独自性を生み出している。与太者、ゲイジュツ家、研究者、財界の大立者、野心家、マゾヒスト、サディスト、ゲイ、男、女、思考のないケダモノの如何を問わず、『荒魂』の登場人物は発話の達人であり、この世界では言葉が見得を切り、丁々発止の対話と、対話を突然終息させる肉体のもつれ(たとえば照子の挑発的な言葉に怒って飛びかかってきた三穂のふところに照子が手を入れると、三穂はたちまち「だめよう、おねえさま。」としなだれかかる)とが、出来事を描写する地の文の粗い調子と呼応する。そしてモラリスト風饒舌の断定的な口調と内容も、じっさいには思想を欠いた見得である。

「玉は金を呼び金は玉をもとめる。」(『荒魂』15章)

(つづく)

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