祝「ファスビンダー映画祭2014」大入り満員

『愛は死より冷酷』、『悪の神々』、『リオ・ダス・モルテス』、『ホワイティ』というきわめて豪華な初期4作をもってファスビンダー映画祭2014 が今日幕を開けた(オーディトリウム渋谷)。わたしは今回上映される全16作品をDVDまたはBDで持っているので、会場に足を運ぶ必要もなさそうなものだが、ファスビンダー映画祭と銘打たれれば、昨年の『ベルリン・アレクサンダー広場』の熱狂(ユーロスペース)を思い起こし、家にいても落ち着いていられない。オーディトリウムに出かけていき、『ホワイティ』以外の3作品を見た。

先のエントリーにも書いた通り、『リオ』、『ホワイティ』では満員で、通路に坐って、あるいは立見でというめったにない盛況となった。おおかたの予想を裏切る結果である。もちろん初日・土曜・なかなか劇場で見ることのできない初期の傑作群である以上、こうでなくてはならない。とはいえ老若男女、多彩な客層を見れば、ファスビンダーがいかに多くの日本の観客から支持されている(支持が言い過ぎなら関心を持たれている)かがわかる。少し心配なのは、『マルタ』、『ローラ』、『マリア・ブラウンの結婚』が上映される日か。『あやつり糸の世界』はアテネの初上映を見逃している人も多いだろうからある程度お客さんは入ることが予想できるけれども、『アレクサンダー広場』の場合はどうだろう。

下世話な話はやめよう。少し驚いたのは、『愛は死より冷酷』冒頭の、ストローブのフッテージについての断り書きが字幕化されていないことである(日本語字幕付きバージョンは今回初めて見た。わたしが持っているのは英字幕付きのArrow版)。この作品はアンティテアーター時代のファスビンダーの演出と演技を、映画を通して窺い知ることができる点でも貴重であり、だからこそストローブ=ユイレ『花婿、女優、そしてヒモ』との関係は重要だ。今日劇場に来られたお客さんには周知のことなのかもしれないが、さらに広く知られるべきポイントのひとつだと思う。今日わたしが本作の大スクリーン上の映写に期待したのはやはり夜のランツベルク通りのシークエンスだった。しかし残念なことに、DVDに収められたデジタル素材の解像度が低いため、スクリーンが大きいことによってかえって見づらくなった。ファスビンダー財団がより良質な素材を出してくれることを待つしかない。

『愛は死より冷酷』がどれだけ演劇の話法を用いて撮られていようとも、またその随所に素人っぽさが目立とうとも、映画作品としての価値はゆるぎないものである。トルコ人殺しから主人公3人のそぞろ歩きの長回しへ、あるいはフランツ拘束間のヨアンナとブルーノのぎこちない同衾からスーパーマーケットのワンシーンワンカット(一転してふたりは打ち解け、それに応じて音楽は『薔薇の騎士』の甘美な二重唱になる)へという語りは、映画を模索し、かつたんなる習作に終わらない成果を上げた例証だろう。ディートリッヒ・ローマンの映像も美しい(フィルムで見たい)。

『悪の神々』には『愛は死より冷酷』の素人くささはみじんもない。第3作にしてすでにファスビンダーは映画のあらゆる話法を自家薬篭中のものにしている。ローマンのモノクロ映像がさらに冴え、後年のファスビンダー作品に頻出する鏡を用いた構図が決まっている。わたしが好きなのはかつての仲間ですでに引退を決意しているジョーを強盗仲間に引き入れようとして、ふたりのならず者の主人公が女を連れて田舎に出かける一連のショット(特に老いたジョーがふたりの男を相手に真剣に立ち会うコミカルなそれ)。映画作家としてはまだ新進だったロメールの初期作品をファスビンダーが食い入るように見ていたことがよくわかる。なおゴリラ(主人公のひとり)が倒れるときにつぶやく “Life is very precious, even right now” は、シュレーター『アイカ・カタパ』でも繰り返し唱えられていた。今回のファスビンダー映画祭に続いてダニエル・シュミットが特集されることはすでに書いたが、ファスビンダー、シュミットと親しく交流し、刺激を与え合った映画作家のひとりがシュレーターである。

『悪の神々』が『愛は死より冷酷』から継承する要素があるとすれば、フィルムノワール調あるいはヌーベルバーグ流の少しばかりご都合主義的なシナリオかもしれない。これに対してファスビンダー自身がユーモアたっぷりに批評精神を発揮して、ほぼ同じ設定(60年代後半の西ドイツ社会から逃走するために、手を替え女を替えて奮闘する男2人)をドイツの若者のありふれた生活に置き換えた作品が『リオ・ダス・モルテス』だ。『悪の神々』が映画的に本気度満点の作品である一方、『リオ』は後の『マルタ』同様、遊び心と批評精神が横溢する快作である。批評精神について言えば、この作品のいくつかの場面(図書館で歴史理論の専門家に脈絡なく質問する箇所や、ベッドでのギュンターの長い独白など)はアレクサンダー・クルーゲを髣髴させる。また『悪の神々』における問題解決策が強盗であり、登場人物をつなぐ接点が裏社会のクチコミであったのに対して、『リオ』における問題解決策は寄付であり、登場人物をつなぐ接点は西ドイツ社会の(いちおう)正規のルートであることはおもしろい。これは確実にファスビンダーが意図してやった設定である(女に手を上げて主人公ふたりから難詰される役をわざわざファスビンダー自身が演じていることも、本作の位置づけに関する監督からの貴重なコメントとみなせる)。ラストのハンナ・シグラの扱い、これもわたしは好きである(あそこで銃を引っ込めることには、今指摘した通りの『悪の神々』との関係から見ても意味があると思う)。『悪の神々』とともに本作が70年代に日本で公開されていたら、日本映画に与えた影響もかなり大きかったはずだと、つい余計なことを考えた。

今後もまだまだ見逃せない作品が続く。今回の特集を機に日本の観客のファスビンダーへの関心がさらに多面的で力強いものになることを期待する。

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