ダニエル・シュミット『季節のはざまで』(“Hors Saison”, 1992)

スイス・アルプスの中腹に建ち、両翼を東西に広げる5層のフロアを持ったかつての由緒あるホテル。夏のハイシーズンにはヨーロッパ中から賓客を迎えていたこの建物もいまは打ち捨てられている。ホテルの支配人を祖父に持つヴァランタン(成人したヴァランタンを演じるのはSami Frey, ドワイヨン『家族の生活』)は、長らくホテルの売店の売り子を勤め、常連客の動静と多様な人間関係に関する情報通でもあったマドモワゼル・ガブリエル(Andréa Ferréol, ファスビンダー『デスペア』)と、彼女が暮らす老人ホームで再会する。会話が少年時代、毎週のように彼女から手渡された漫画版「ミッキー・マウス」に及ぶと、ガブリエル(愛称アニー)は35年分の「ミッキー・マウス」がいまもホテル5階の「海の見える部屋」に残されていると言う。ヴァランタンは彼女の言葉に誘われるように廃屋となったホテルへ向かう。ホテル1階裏手の、鍵の隠し場所を彼は知っている。なぜなら常連客きっての美女であり、多くの宿泊客との間に浮名を流した「世界一の美女」(少なくとも少年期のヴァランタンの目にはそう映った)、マダム・アニタ(Arielle Dombasle――アリエル・ドンバール, 日本ではしばしば英語読みでドンベールと表記, ロメール『聖杯伝説』)が一時関係していたテニスのコーチを自室に呼び込むために鍵を隠すところを、その昔目撃していたからである。数十年前と同じ場所に隠されている鍵によって扉が開かれると、わたしたち観客もヴァランタンとともにこの建物がそのまま秘匿している時のなかへ導かれる。

屋根裏部屋には、シーズン中連日のように読心術や催眠術によって宿泊客を楽しませていたプロフェッサー・マリーニ(Ulli Lommel, ファスビンダー『愛は死より冷酷』『あやつり糸の世界』)のシルクハットとポスターがそのまま残されており、またホテル両翼の中核にあるエレベーターはいまも魔法にかけられたかのように動く。ヴァランタンはたちまち少年に戻り、1階のフロアから全然下に降りてこないエレベーターの底を眺めやっている。不思議な振動とともにそこからかすかに聞こえてくるのは女性のあえぐような声である。やがてようやく旧式の(いや最新型の)エレベーターが動き出すと、マダム・アニタが、続いて制服を整えながらポーターが降りて来る。エレベーターの1階入り口脇にはアニーの売店があり、彼女と軽く言葉を交わしてからバーへ去っていくマダム・アニタの妖艶な後ろ姿を、少年ヴァランタンは憧れの目で見送る。

バーには広いダンスフロアがあり、マリーニのショーもそこで催されるのだが、今夜はホテルの夏の定番、ヴォーカルのリロ(Ingrid Caven)とピアノのマックス(Dieter Meier)ふたりが奏でるけだるい大人の音楽が流れているだけである。ふたりの定位置のうしろにはフロア全体を映し出す大きな鏡があり、その右手はバーカウンター。当初観客は自分たちの方に向かって歩み寄ってくるように見えるアニタの全身と、彼女が向かう方向に、金色に燃え立つ髪と優雅に揺れる腰を見せて立つもうひとりの女性の後ろ姿を見る。鏡のなかの映像だ。彼女のブロンドの髪と優美な肢体はファスビンダーとシュミットの作品を見続けてきた者ならすぐにイングリット・カーフェンのものであるとわかる。カメラが引いて鏡像から実像へわたしたちを誘うと、アニタは後景に退き、リロとマックスの演奏する姿が画面の中心にやってくる。カーフェンはハイハットをブラシでこすりながらハスキーヴォイスで歌っている。そのかっこよさ。

冒頭、バスで移動するヴァランタンと、彼が見ているバスの車窓からの眺めを捉えたショットからわたしたちはレナート・ベルタの魔術に捉えられてしまう。マリーニの催眠術に魅了され、噂ではついに眠りから醒めることがなかったホテルのお客たちのように。アニー(ガブリエル)との再会シーンでも、彼女が鏡のなかの自分と語るショットはある既視感とともにわたしたちの心を掴む。この既視感が何に由来するのかをようやく理解させるのが、イングリット・カーフェンを物語に迎え入れるあのショット、鏡のなかの彼女をまず背中から、次に音楽とともにゆっくり引くカメラが正面に見るそれである。『季節のはざまで』(1992年, フランス語タイトルは“Hors Saison”, ドイツ語タイトルは“Zwischensaison”, いずれもホテルのオフシーズンの意)はダニエル・シュミット自身の少年時代にだけでなく、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーに捧げられた作品なのである。

ウリ・ロメルはアンティテアーター時代以来のファスビンダーの盟友で、『ファスビンダー、ファスビンダーを語るⅠ』にはふたりが『群盗荒野を裂く』にすっかり魅了されてしまったという逸話がある(結果ふたりにハンナ・シグラを加えて撮られた作品がファスビンダーの長編映画第1作『愛は死より冷酷』だった)。しかし、『季節のはざまで』のある種オカルト的ないしはスラップスティック風の雰囲気からいくばくか想像できるように、ファスビンダー亡きあとのロメルのキャリアは一部のコアなファンにのみ知られるものとなっている。とはいえ『あやつり糸の世界』で主人公クラウス・レーヴィチュの疑問を解くために重要な貢献をするジャーナリストを、助手役のイングリット・カーフェンとともに演じたロメルを想起すれば、92年の時点でダニエル・シュミットがなぜこのふたりを起用したのか、その理由は明らかだろう。『季節のはざまで』におけるロメルとカーフェンはホテルのショーの中心人物であり、しばしばふたりは共演する(マリーニのショーにもリロとマックスの音楽は必ず付き添っている)。その上カーフェンを導入するあのすばらしい鏡のショットとくれば、本作を、鏡を偏愛したファスビンダーへのオマージュと考えないわけにはいかない。

レナート・ベルタの光の美しさはストローブ=ユイレの諸作品を通してだれもが知っている。そしてまた、彼のカメラのパンの流麗さをもっともよく引き出した監督と言えばダニエル・シュミットである。『季節のはざまで』のらせん階段と回廊におけるパン、そして何よりラストの「海の見える部屋」のそれはベルタとシュミットの最上の仕事のひとつだろう。カーフェンを背中から、次に引いて正面から捉える音楽的なあの鏡のショットもベルタならではである。

『季節のはざまで』におけるペーア・ラーベン Peer Raben の貢献にも触れておかなければならない。ヴァランタンが鍵を探し当て、ホテル裏手の扉を開く場面と、ラストシーンに流れる音楽は、『ベルリン・アレクサンダー広場』のテーマ音楽をはじめ、ほとんどのファスビンダー作品でわたしたちが耳にしたラーベン調であるにとどまらず、シュミット作品のための音楽である。なお本作に流れる音楽については次の点にも注意しないわけにはいかない。カーフェンが歌う「カプリの漁師」http://ingeb.org/Lieder/wennbeic.htmlは、ファスビンダー『ローラ』のテーマと言うべき曲だ。

すでに紹介した重要な三人のファスビンダー俳優に加え、革命貴族役のGeraldine Chaplin, 祖母役のMaria Maddalena Fellini(フェデリコ・フェリーニの妹)、祖父役のMaurice Garrel(フィリップ・ガレルの父)、そしてサラ・ベルナール役のMarisa Paredes(アルモドバル作品への出演で知られる)など、よくもこれだけの役者を揃えたという豪華な布陣である。アテネフランセ文化センター主催、オーディトリウム渋谷でのダニエル・シュミット特集ではフィルムで上映されている。すでにDVD化された作品であるゆえ、今後オリジナルのフィルムでベルタの偉業を見る機会は少なくなることが予想される。この機会をお見逃しなきように。

わたしは7月14日の回に、『書かれた顔』(こちらもベルタの映像が奇跡的である)とともに見た。『書かれた顔』のプロデュースには旧ユーロスペースが参加しており、アテネフランセ文化センターも制作に協力している。当時ダニエル・シュミットをもっともよく理解していたのは日本の観客たちだったかもしれない。もちろんこの偉大な監督をわたしたちに知らしめた最大の功労者は蓮實重彦である。

 

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