ラーメン屋の前で腕組みしながら行列している人

そういうことをやめないと日本で革命は起こらないだろう。

行列ができていたら回避するか、あえて行列を長引かせるのならせめて笑顔で並んでいてほしい。ラーメンが好きで、わくわくしながら並んでいるのであろうに、何だって皆あれほどの仏頂面をしているのか、私には訳がわからない。

食券とその販売機も非常に怖ろしい存在である。はじめて入る店で券買機のパネルに並んだあの機械的なラインナップを前にするときの疎外感と味気なさとは筆舌に尽くしがたい。ラーメン通はそれぞれの店舗の券買機のどこにどのメニューが並んでいるかを完璧に記憶しており、私のような永遠の初級者がその前でまごまごしていると露骨に怖い顔で睨むので、たまにはラーメンでも食うかというかすかなやる気がすでに店頭で掠め取られてしまうことも多い。

カウンターに着席すれば鉄仮面のような客たちの佇まいと麺をすすり上げるこれみよがしの音の洪水だ。ラーメン屋のカウンターにはカップルの姿は似合わない。やはりここは男一人で訪れる神聖な場所なのだ。行列では例外的に楽しげなカップルでさえ、カウンターに並んだ瞬間巡礼者の仲間に加わるのだが、この場合の巡礼者はけっしてカンタベリー物語の陽気なそれではない。

カンタベリー物語と言えば、その中であまり注目されていないおもしろいエピソードがある。神学論争をコケにした話で、オッカムも真っ青である。ある唯名論の聖職者が神と精霊以外の不可視の実体の存在を否定して、そんなものが実在するというなら、風でさえも12等分できようと述べたことを巡って論争が巻き起こるというものだ。鍛冶屋かだれかが出した鮮やかな解答はこうである。12本のスポークがついた車輪を用意し、スポークごとに1本ずつストローを添えて、ストローの中心にはホースをつける。而してそのホースを鍛冶屋の尻につなぎ、鍛冶屋は勢いよくホースに向けて放屁する。すると目に見えない実体はそれぞれのストローに沿って分割され得るであろう、と。この馬鹿話にはオチがついており、先の聖職者は「最初の果実」を味わうために一本のストローの前で待ち受けていなければならないのである。

ラーメン屋のカウンターで一人だけニヤニヤしている男がいたとすればそれは私であり、ニヤニヤしている理由は鉄火面的な客人ではなく、頭の中で読み返しているチョーサーの方にあるのだ。

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