ブランデンブルク

アルスラン、ペッツォルトら、ベルリン派と呼ばれるドイツの現代作家たちの作品のタイトルを見ていると、しばしば製作支援団体の中に “Medienboard Berlin-Brandenburg” の名が上がっている(たしか『あの日のように抱きしめて』のタイトルにも)。この組織は英語版ウェブサイトを公開しているので、そちらを見ていただければ何をしているのかその概要はわかる。ドイツの現状ではベルリンと、首都を取り巻く旧東ドイツのブランデンブルクとは別の州である(90年代にベルリンをブランデンブルク州に統合しようとする政策が立案されたが、それは住民投票によって否決された)。とはいえベルリンがブランデンブルクの真ん中に位置するという地理的な事情と、ブランデンブルクがいくつかの、小さいとはいえ魅力的な町を擁しているという事情に変わりはない。ベルリン、ブランデンブルグ両州が、首都と古都という絶妙の組合せを映画製作に活用するため、首都の映画大学で学ぶ俊英たちに便宜を図ってきた理由もそこにある。

ペッツォルト『イエラ』が旧東西ドイツ国境を横断する作品であることについては何度も指摘してきた。あらためて作中に登場する地理の設定を確認してみよう。主人公イエラ(ニーナ・ホス)のホームタウンは 、ヴィッテンベルゲ(Wittenberge) というブランデンブルク州の北端、ほとんど西隣りのザクセン=アンハルト州内の飛び地のような町である。この古都の特徴はザクセン=アンハルトとの州境でもあるエルベ川の右岸に位置していることだ(エルベ川はここを経由してハンブルクに流れ込む)。

『イエラ』の物語は、 ヴィッテンベルゲのエルベ川にかかる橋から始まり、そこで終わるが、主人公はこの間、ヴィッテンベルゲから200キロほど西に位置するビジネスの中心地ハノーファー(ニーダーザクセン州都)と、ほぼ同じ距離を隔ててヴィッテンベルゲの南に位置するデッサウ(ザクセン=アンハルト州)との間を移動する。旧東ドイツの小さな町の住民は、ビジネス・チャンスを得るために西ドイツの経済発展を支えてきた大都市ハノーファーに頼らざるを得ず、一方旧西側もデッサウのようなかつての東ドイツの中核都市の力を利用しないわけにいかない。イエラはこの三都間をめぐることで旧東西国境を越え、まだ乗り越えられていない経済社会的な格差を映画の中にくっきりと浮かび上がらせる。

この作品においては、敗戦と戦後の統治がもたらした境界と並んで、ドイツの古い歴史と切っても切れない地理的境界であるエルベ川が重要な役割を果たしている。冒頭とラストの舞台であるエルベを遡ればデッサウに至り、その水辺こそ本作品後半の主な舞台である(デッサウの蓄電池メーカー社長の自宅の水辺は、エルベの支流に流れ込んでいる)。このふたつの境界(戦後の構築物のいまだ消せない名残りとしてのそれと、ドイツ文化の地理的な徴であった古いそれ)が、2000年代の映画の中に合流していることも、『イエラ』の大きな特徴だ。

こういう特異な設定を実現した要因のひとつが、ベルリンとブランデンブルク両州共同の映画製作支援である。もちろんペッツォルトの作品にとって、ブランデンブルクの古都ヴィッテンベルゲを舞台にすることの意味は偶然的であるけれども、少なくとも『イエラ』が捉えたこの町の姿は、すでに映画史の記憶の中に位置づけられている。多くの人はブランデンブルクという地名から辺境伯とコンチェルトを思い起こすだろうが、現代映画の製作形態はそれに新たな印象を付け加えたわけである。

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