ペッツォルト特集編集後記

一週間前の日曜日に “Phoenix”(邦題は『あの日のように抱きしめて』だが、これを書くたびにイラっとする)を見て、その後思い浮かんだ泡沫をまとめて書いた。埋草のようにシュレーターが混じっているが、こちらは現在わたしがもっとも強い関心を寄せている映画作家であり、そのうち「特集」しようと考えているので、その予告のようなものである。

半年ほど前の本誌のワイズマン特集は、2月のシネマヴェーラでの集中上映に刺激を受けて書いた。その後しばらくはここを更新しなかったが、観念の泉が涸渇したわけではない。例によってなまけていた(もともと間欠泉)。そこへ4月のシュレーター特集(アテネフランセ文化センターとゲーテ・インスティトゥート東京の共催)が来て、強い感銘を受けた。すぐにも書きたいことがあったのだが、シュレーターについては何も知らないし、特集のラインナップに入っていなかった作品も見てみたいしで、少し時間をかけることにした。フーコーとシュレーターの対話に邦訳があることを知ったのもこの間である。

ペッツォルトについては2年ほど前から取り上げてきたが、わたしはたとえばアルスランを評価していないわけではない。いわゆるベルリン派の現代作家たちそれぞれに強く惹かれる(13年のアップリンク渋谷でのベルリン派特集で取り上げられた作品はすべて見たし、期間中2、3度見直した作品も複数ある)。ただペッツォルトの作風はアルスランに比べても地味であり、最近の2作品にもジャンル映画的な要素はあるのに、その要素のどれかを強く前面に打ち出すということをしない。そのためロードショー公開されても、よい映画であることはわかるが捉えどころがない、という印象を与えるかもしれない。しかし、ファスビンダーの作品にリアルタイムで接していた観客が、たとえば『四季を売る男』や『あやつり糸の世界』を見て、この作家の可能性を知り尽くすことなどできなかったように、ペッツォルトの新作にも公開された時点では受容しきれない面がある。『あの日のように抱きしめて』も、『東ベルリンから来た女』の主題やモチーフとの関連から見るといっそうおもしろいし、その逆も同様である。シネクラブでしか公開されていない作品をより広く紹介する機会が必要であり、またニーナ・ホス主演の未公開作 “Wolfsburg”(2003)および “Jerichow”(2008)の公開も待たれる(ま)。

注 まはナマケモノのま。

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