『武蔵野夫人』

いまさらながら、『武蔵野夫人』(1951)はすごい作品だ。同年の前作『お遊さま』(大映)から製作会社が東宝に移り、カメラも宮川一夫から成瀬巳喜男の作品で知られる玉井正夫に引き継がれる。本作品での玉井のカメラは、武蔵野の景観を捉えるときだけでなく、古い庄屋屋敷を引き継いだらしい日本家屋内部の広がりと奥行きのある空間(たとえば庭に面した奥の間から居間にかけての横方向の母屋の広がり、中庭を挟んで母屋の書斎と離れの書院が向き合う奥行き、ラスト近くで森雅之がいくつかの部屋を経て寝室に至るショットに顕著な入り組んだ構造など)と、発展しつつある東京(勉の下宿のある五反田、銀座のネオン街、ラストの東京の遠景)を撮るときに本領を発揮している。冒頭の宮地家の庭を俯瞰で撮るときには自然光が作る陰影を、嵐のホテルの室内では乏しい光の中で対峙する主人公二人の姿を、ラストシーンでは『夜の女たち』冒頭の大阪の廃墟とみごとな対をなす東京の景観を、それぞれ繊細に撮りわけている。

宮川一夫の1983年の講演(溝口健二大映作品集 Vol.1所収のリーフレット)によれば、監督はショットの構成(アングル、人物の配置や出入り、カメラの動き等)を伝えるだけで、具体的な撮り方は撮影監督に委ねたという。『お遊さま』の宮川一夫、『武蔵野夫人』の玉井正夫、そして続く『西鶴一代女』の平野好美と、この時期の溝口は短期間に異なるカメラマンを起用している(主に製作会社の違いによる)。映像の風合いはそれぞれ異なるけれども、いずれも第一級の仕事になっているのを見ると、撮影監督たちの溝口への敬意だけでなく、溝口の熟達した撮影指揮(撮影監督にどこまで委ねるかという点を含めて)の効果を想定しないわけにいかない。『歌麿をめぐる五人の女』以来、セットと屋外それぞれのショットの駆け引きがこの時期の溝口作品に独特のリズムを形作っており、この駆け引きが顕著に認められるのが『お遊さま』と『武蔵野夫人』である(『西鶴一代女』では屋外のショットさえ単一の様式のうちに取り込まれてしまい、もはや駆け引きと言えるような対比はなくなる)。セットもロケーションも途切れることのない一枚の布地に織り込む『西鶴一代女』の達成が比類ないことはたしかだとしても、『お遊さま』と『武蔵野夫人』のロケーション撮影はそれぞれ魅力的である(『山椒大夫』と『近松物語』には『西鶴一代女』によって一度様式化された後の自然が登場する。それに対して、『お遊さま』と『武蔵野夫人』の自然はそれらを準備しつつあるとはいえ、より風景画的な別種の景色である)。

『お遊さま』を特徴づけていた誓いの主題が本作品にも登場する。しかし、前作の谷崎=王朝風の楽天主義から打って変わって、こちらは近代道徳形而上学の色調を帯びる(「潤色」としてタイトルに名が上がっている福田恆存の役割はどのようなものだったのか、この点で少し気になる)。つまり、誓いを守りぬくために田中絹代は死んでしまうし、もう一人の当事者は失意のもと武蔵野を離れる。田中の愛・道徳・誓いが明かされる嵐の夜の描写はカメラワーク、照明を含めて非常におもしろいが、監督自身どこまでこの形而上学に肩入れしていたのか、わたしにはわからない。ともあれ轟夕起子、森雅之、山村聡の達者さは玉井正夫のカメラが対象とするにふさわしく、田中絹代の道徳形而上学をぶち壊しにする戦後日本人の先駆的な姿をよく形象化している。

 

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