ぢゃ

わたしが居住している集合住宅は築12年で、入居後誕生した子供たちがいまは小学校高学年になっている。こちらは生まれた頃から彼らを知っている。向こうは物心ついてから多少はこちらを見知っている程度だろう。今日は出がけにその中のひとりからていねいに「さようなら」と挨拶された。こちらも「さようなら」と返す。最近ほとんど言われたことも言ったこともない表現だ。

たぶんあの子供も友だちにお別れを言うときには「じゃ(あ)ね」を使うのだろう。「じゃ」=「では」であり、これは「だ・連用形+は(仮定条件を表す係助詞)」だから、「さようなら」または「さらば」と同じく「そうであるならば」の意味になる。そういうことならまた今度、という軽いニュアンスで使われることが多いわけだが、「本来の」別れに際していっそう鮮明な効果を発揮する。すなわち恋の破綻の場合である。あれこれやりあっても埒が明かず、互いに相手の言い分が聞き分けられないときに、納得はできないものの仮に「そうであるならば」と言って永遠の別れの辞とする。粋である。

愁嘆場の片鱗を伝える「じゃ」を日常的に使って育った子供が、いつかは本格的に「さようなら」と言うときを迎える。「さようなら」の応酬から、身も蓋もないことを考えた。

 

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