ピエール・ブロンベルジェ

オフュルス『ローラ・モンテス』の69年修復版(110分)は、先のエントリーで紹介した通り、ピエール・ブロンベルジェの尽力によって実現した。また08年のデジタル・リマスター完全版の企画者の一人は彼の娘ロランスである。

ピエール・ブロンベルジェ(1905-90)の生涯は映画史そのものだ。『フランクフルト・アム・マイン Francfort-sur-le-Main』をドイツで撮ったのが15歳の時。その後アメリカに渡って20世紀フォックスとメトロ・ゴールドウィン・メイヤーで映画製作に携わり、パリに戻ってからは『のらくら兵』などルノワールの初期の傑作を次々にプロデュースする。マルク・アレグレ『家なき児』(34年)とルノワール『ピクニック』(36年)を製作したのもブロンベルジェである。

驚異的なのは、黄金時代のフランス映画を牽引したといっていいキャリアの持ち主が、その後今度は着々とヌーヴェル・ヴァーグの下地を整えたことである。たとえばアラン・レネ「ヴァン・ゴッホ」(48年)、同『ゲルニカ』(50年)、56年にリヴェット「王手飛車取り」、そして59年にはゴダール「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」を製作する。名だたるシネアストの最初期の短編を手がけていることからも、ブロンベルジェの名伯楽ぶりがわかる。モーリス・ピアラ初期の短編 “L’Amour existe”(60年)も彼のプロデュースによる。

トリュフォー『ピアニストを撃て』(60年)、ゴダール『女と男のいる舗道』(62年)をはじめ、戦後フランス映画の最盛期を代表する作品を続々と製作していた60年代後半に、彼はオフュルス『ローラ・モンテス』の修復を手がける。

わたしは『ローラ・モンテス』69年修復版がルノワール『ピクニック』のプロデューサーによって(再)製作されたことを数日前まで知らずにいた。映画史には驚かされっぱなしだ。

 

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