川島雄三フィルモグラフィーの暗記のしかた

川島雄三は45年の生涯に51本の映画を撮り、急逝時には3本の作品(フランキー堺が写楽を演じる『寛政太陽傅』を含む)が準備されていた。多作家なので、1年に6本撮ったこともあり、彼のフィルモグラフィーを頭に入れるには多少の工夫が必要かもしれない。ここでその一つの方法を提案する。

この週末から神保町シアター(特集「百花繚乱 昭和の映画女優たち/松竹120周年記念」)で上映される彼の第一作『還ってきた男』(1944年)は松竹大船で製作された。翌年敗戦を迎えることもあって、彼が松竹での仕事を再開するのは46年からである。そしてこの年から51年にかけて10本の作品が撮影される(作品名を列挙すると読みにくいので、詳細はWikipedia などで確認されたい)。この10本はフィルムセンターなどの特集を除いて映画館で見る機会はほとんどない。いわゆる松竹喜劇初期の作品群である。

さて、翌1952年からは川島の怒濤の進撃が始まる。幕開けが『とんかつ大将』である。この作品から『明日は月給日』までの5本を基本中の基本としてまず記憶されたい。続く53年は松竹喜劇時代の最盛期で、6本連打される(『東京マダムと大阪夫人』はこの年の5作目)。52年の5本と53年の6本を暗記してしまえば、この後は有名作品が続くので楽である。ここまでの過程を振り返ってお分かりの通り、松竹最初期(44年、46-51年)は1プラス10、52-53年は5プラス6で、11本ずつに分けて覚えればよい。

54年は川島の松竹時代最後の年で、『真実一路』と『昨日と明日の間』が撮られる。ここはフィルモグラフィーの画期だから、自然に記憶されるはずである。

そして彼の最盛期、日活時代が始まる。ここでは作品の前後関係を間違えないようにしたい。55年は『昨日と明日の間』に直接つながる偉大なトリロジー、『愛のお荷物』『あした来る人』『銀座二十四帖』の年である。あい、あしたと五十音順になっているのがうれしい(もちろん映像で思い出すことが望ましい)。55年という記号は頭に刻み込んでおこう。

続く56年は、いよいよ彼の最高作群が登場する。作品名を記憶していない人は皆無のはずであるから、ここでも問題は順序である。『風船』『洲崎パラダイス 赤信号』『わが町』『飢える魂』『続・飢える魂』。なんとこんな傑作を5本も続けて撮っている。

さあいよいよ57年。この年は『幕末太陽傳』1作しかない。彼のフィルモグラフィーにおいてこれほど満を持して制作がなされた例は珍しい。ところで54-57年も2+3+5+1で、やはり11本セットになる。川島雄三のフィルモグラフィーにおいては、この11という数字が鍵だ。

58年以降は東宝系時代。58-59年は『女であること』『暖簾』、『グラマ島の誘惑』『貸間あり』の2本ずつである。

翌年から再び多作になり、60-61年に4作ずつ計8本が撮られる。61年の締めくくり2作が『女は二度生まれる』と『花影』だ。58-61年は、先の11の法則から見ると例外的で、2+2+4+4=12本になる。

そして最晩年の秀作群に至る――62年は『雁の寺』『青べか物語』『箱根山』、63年は『しとやかな獣』『喜劇 とんかつ一代』『イチかバチか』。これに未完の企画を加えれば、『江分利満氏の優雅な生活』『忍ぶ川』、そして『寛政太陽傅』である。急逝によってフィルモグラフィーが絶たれてしまったため、最後は3+3+3となる。

しかし、非常に美しいフィルモグラフィーではないか。58-59年をまとめて4作と数えれば、(6+5)×3+4×3+3×3 という構成なのだから。

 

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