ペッツォルトー溝口ーオフュルスー川島―シュレーター

川島雄三の『女は二度生まれる』については、約束した通り明日続きを書く。ここではアガンベンの収容所に関する記述を引き継いだ独り言を。

毎日のように思いついたことをメモしていると、不思議なことが次々に起こっていることに気づかされる――自分の思考がもっと大きな思考の媒体であるかのように、主観的には偶然出会ったと思える事柄どうしが勝手につながりを形成しているという発見。

たとえば先のエントリーの収容所をめぐるアガンベンの指摘は、「身振りについての覚え書き」を読むことに付随して見つかった。「身振りについての覚え書き」は、もっぱらシュレーター論とメロドラマ論のための文献として読んだのだが、ペッツォルトの収容所と交差したのである。

『ローラ・モンテス』をめぐる考察も、もとを正せばペッツオルトを「ポスト・メロドラマ」という文脈において見る試みから派生したものだ。しかし、同じころ「芦川いずみ特集」でたまたま見る機会を得て、それを機に考え直すことになった川島雄三との間に関連を見出すことになった。

すべての下地を作っているのはどうもシュレーターらしい。彼の作品を4月にまとめて見なければ、たぶんフーコーもアーレントもアガンベンも読み直すことはなかった。映画から書物へ、書物から映画へというこの連鎖が目の前でほとんど自動的に作り出されるのを観察し、それを一種の傍観者として書くのはなかなかおもしろい。

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