『女は二度生まれる』(3)

川島雄三の映画についてその作品を見ていない人を相手に説明しようとすれば筋書きの紹介になりがちだ。それだけ話が複雑で、こんがらがったところが面白いからである。しかし、ブログでそんなことをやっていても埒が明かない。ここでは『女は二度生まれる』の思考過程を明らかにするために次の4点に的を絞る。1) 寝る男たち、2) 寝ない男たち、3) 靖国神社、4) 散逸と放擲。

この作品は、男とつき合うことを商売にしている若尾文子の、男たちとの接触を速いテンポで連続的に見せる前半と、その後の経緯、およびたった一人彼女が無人駅に放り出されるラストシーンに至る後半からなっている。この構成(散逸と放擲)については最後に述べる。ただまさに全編のこうした構成こそ本作が没落の思考である理由だから、詳述に取りかかる前に論考がどこへ向かうのかを先に述べた。

1)    寝る男たち

売春防止法は1958年に完全施行され、これによって赤線は廃止された。『女は二度生まれる』(1961)の時代設定は製作年代とほぼ同じ。作中、若尾文子が客(フランキー堺)との会話で同法に触れ、最近取り締まりが厳しくなったと言っているからだ(若尾と客が泊まるのは靖国神社のすぐそばにある料亭で、この店は客に芸者を斡旋する隠れ売春宿である。しかし、これは当時すでに非合法だった)。

映画はアヴァンタイトルで始まる。後にフランキーが泊まるのとおそらく同じ部屋に若尾は山村聰を迎えている。彼女の語りと仕草は商売用の同じパターン――客とのありふれたやりとりをしばし続けながらすでに帯を解き始め、やがて「電気消してもよろしくて」と尋ねる。天井の灯りが消える瞬間に客の方が枕元のスタンドの照明を点けるのも同様だ。ただ冒頭の場面では、その後突然太鼓が響き、これを聞いて山村はうろたえる。若尾の説明によると靖国神社の朝五時を知らせる太鼓の音である。この響きは売春宿を兼ねる料亭が位置する地理の説明でもあり、またタイトルに続く靖国境内のショットの導入でもある。しかし、山村同様たいていの観客は色事の場面で唐突に響く太鼓に驚くはずだ。すでに冒頭から不穏な気配が漂っている。

若尾が前半で次々に出会う男たちを順番に記すと、山村聰→藤巻潤→フランキー堺→山茶花究→高見国一。このうち若尾が寝るのは山村、フランキー、山茶花である。山村、フランキーそれぞれとの出会いは靖国そばの料亭で、最初の山村との場面で響く太鼓は藤巻と若尾の出会いの先取り、また山茶花は若尾を伴ってフランキーの働く寿司屋に行き、その後若尾は一人でその寿司屋に立ち寄ってフランキーとデートの約束を取りつける。こういう塩梅で前半は進むので(他の人物との関わりがほとんどないのは高見のエピソードだけ)、初見の観客は若尾の男性遍歴を次々に見せつけられて、次第に話の順序などわからなくなるという筋書きである。

こういうアップテンポの展開は川島の得意技だが、面白いのは個々のエピソードの類似と変化である。冒頭の山村とのベッドシーン(絡みはないので正確にはベッドルームシーン)と、少し後のフランキーとのそれは、リードする若尾の台詞や仕草に限って言えば明らかに類似が強調されている。しかし一見どうでもよさげなところに異なる設定があり、それが類似の中の相違を浮かび上らせる――山村とフランキーの容貌の対照は言わずもがな、フランキーの所帯じみた語りとそれに惹かれる若尾の可愛いらしい姿態、そして敷かれた布団の様子の違い(山村は女と寝るときでも布団を別に敷かせる――そうしないと熟睡できないと彼は言う――一方、フランキーは一つ布団で同衾する)。わたしたちはこういう類似と相違を通して、若尾がこの料亭で過ごした見知らぬ男たちとの夜が彼女にとって同一であることを知るだけでなく、映像によって示されない数知れぬ彼女の夜を想像することができる。

〈太鼓の音に驚く山村聰〉

〈靖国〉

〈フランキーの場合〉

キツネとタヌキの化かし合いめいた若尾と山茶花(パパさん)の関係と、瓢箪から駒のように派生するフランキー(寿司屋の板前)との再会は、前半の山場の一つで、ここには川島作品の達者な語り口が凝縮されている。

若尾は山茶花の誘いで熱海あたりの温泉にやってくる。映像は客室の広いお風呂に一人で入っている彼女と、こちらは大浴場から出てきたばかりの山茶花をクロスカッティングで捉える。いい歳をして女湯の入口から中を覗く山茶花に気づき、彼の後を追ってきた女はどうやら旧知の人妻。旦那はさっき大阪へ発ったと媚を売る女に山茶花はさっそく色気づき、自室に戻ると、ばったり会った仕事仲間とこれから箱根に出かけることになったので、今夜若尾は独りで泊まり、明日東京に帰ってほしいと頼む。その埋め合わせに山茶花が東京で若尾に晩飯をおごる場面になると、彼女はフランキーの寿司屋を指定し、そこにわたしの岡惚れ(片思いの相手)がいると言う。面白がって板前たちを見比べ、どれがお前の贔屓なんだと若尾をからかう山茶花、そんな二人の様子を気遣わしげに見るフランキー。中トロを四つつまんだだけでおなかがいっぱいと言う若尾は、日を改め単独で店を訪れようというハラである。つまり山茶花はデートのお膳立てを手伝わされたのだ。面白いのは寿司屋再訪の場面で、開店直前の店にはベートーヴェンの「運命」が流れている。迎え入れられた若尾は店員たち全員の前で堂々とフランキーをデートに誘い、待ち合わせの時間と場所まで指定する。「お客さん、おからかいになっちゃ困ります」とフランキーが答え、店の連中ももちろん彼女の言葉を本気にしない。ところが次のカットはもうすでに酉の市の人混みをかきわける二人のアップなのだ。

寿司屋

〈寿司屋〉

こういう巧みな語りを支えているのは、あらゆる角度から若尾と男を捉えるショットを、緻密に繋ぐ編集の技量である。川島作品には見事な長回しも多いが、このフィルムを特徴づけるのは短く切れのあるカッティングだ。そして寿司屋再訪の場面に流れる「運命」の動機に代表される不思議な音声の挿入は、第一作『還ってきた男』(1944)以来の技法である。こういうショット、編集、音声に注目しなくてもおそらく物語の魅力は伝わるだろう。ただそうした場合、人は自覚しないままイメージの稠密なテクスチュアが生み出す映画の思考に操られていると言っていい。

前半次々に登場する客とのエピソードは、若尾文子の定めなき日々と、彼女が抜け出すことのできない袋小路をあぶり出す。繰り返し現れる神楽坂の置き屋のある路地裏は、彼女の小世界の縮図である。

〈置き屋〉

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