『還って来た男』(1944)ーー固有名か確定記述か

寝不足での連夜の五合呑みがたたり、今朝は二日酔い気味だった。それゆえ筆の進みが悪く、『女は二度生まれる』を完成できなかった。明日も予定があるので、結論が仕上がるのは明後日になる。

ところで、わたしは昨日川島の第一作『還って来た男』(1944)を見た(神保町シアター)。これが驚くべきフィルムなのである。冒頭の編集をざっと振り返ると――石段をロングで捉えてからのドリー(前方トラヴェリング)、石段を上りきったところから始まる路地で遊ぶ子供たちのカット、石段上から新聞配達の少年を捉えるリバースショット、転んだ彼を石段途中の脇道から現れた女教師二人が介抱してやるショット、歩き出す女教師たちを追うトラヴェリング、追いかけて彼らの会話を聞く新聞記者と振り返る教師たちのショット、突然降り出す雨(ここでオフの音楽が一瞬ショパンの「雨だれ」になる)。この一連のショットにもうわたしはやられてしまう。

なかなか登場しない「還って来た男」(佐野周二)はまず停車中の列車の窓から駅弁屋を呼ぶ大声によって紹介され、新聞配達の少年を名古屋に送る対抗車線の列車から見たロングショットと、続く車内のショットで姿が映し出される。それまで続いてきた少年のエピソード(彼の実家はクラシック・レコード店!)はこの駅舎から始まる主人公の堂々巡りと偶然の連続に引き継がれ、列車の中で出会った女(将棋盤を広げて詰将棋をしている)の仏像探しの旅が、骨董趣味の佐野の父(笠智衆)を交えて佐野の旅と交差する(笠智衆の書斎にある仏像から奈良の大仏へのジャンプカットは、後年の大胆な編集をすでに予告している)。思い立つとすぐに旅立つ佐野の姿は『東京マダムと大阪夫人』の高橋貞二を彷彿させ、こういう飄々としたヒーロー(?)を描かせたら川島の右に出る者はいない。

父が奨めるお見合いを承知し、自分は見合いは一度と決めている、なぜなら見合いをしたら必ずその女を妻にする覚悟だから、と妙な格率を開陳する佐野。実はこの見合いの相手こそ、冒頭の女教師の一人、田中絹代である。将棋盤の女は仏像を笠智衆から譲り受けるとなぜか前景から消えてしまい、後半は田中と佐野、もう一人の女教師と新聞記者、そしてこの記者も通うレコード店(もちろん「雨だれ」が流れるショットがある)の父子(冒頭の新聞配達の少年と店番をする姉)のエピソードが交差し合いながら展開する。その語り口、あらゆるタイプのショットを組み合わせる技巧、音楽と音声の巧みで愉快な処理はすでに川島イズムを完成していると言っていい。

これはまぎれもなく『女は二度生まれる』を撮った監督の作品だ。必見である。

注記 サブタイトルは冗談だ。

 

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