オフュルス『マイエルリンクからサラエヴォへ』

オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー(二人はサラエヴォ事件で命を落とした)の恋を描く『マイエルリンクからサラエヴォへ』は、『歴史は女で作られる』を準備する作品である(以下『マイエルリンクからサラエヴォへ』をa 、『歴史は女で作られる』をb と表記)。

1) b のバイエルン宮廷とサーカスの舞台には共通点がある。いくつかの異なるステージが前者では宮廷役人たちの、後者ではサーカス団長と道化師たちの媒介によって結びつけられること、およびいずれも群衆の称賛と罵倒を浴びることである。サーカスさながらの宮廷の様子は、a でもハプスブルク家の描写に認められる(冒頭の晩餐会の準備は、サーカスの舞台演出同様、煩瑣なしきたりに従って進められる)。またフランツ・フェルディナントとゾフィーを迎えるサラエヴォの群衆は、b のラストシーンでローラ・モンテスを取り巻くサーカスの観衆と、バイエルン時代の彼女をミュンヘンから追い出す暴徒のそれを先取りしている。a のサラエヴォの群衆とb のサーカスの観客は、主人公の死に立ち会う期待を抱いて惜しみない拍手を送る。

2) a のゾフィーとb のローラが、ともに断固として信念を貫く強さを持っているにもかかわらず、破滅に向かわざるを得ないこと。強さに由来するこうした生の散逸はオフュルス独自の主題である。ローラは医師から空中ブランコの演技を止められているのに、あえてセーフティーネットなしで飛び、ゾフィーは宮廷の慣習に逆らって夫と危険をともにする。しかし同時に、ローラの放心とゾフィーの怖れの表情には、自分の選択が招いた破局に直面しつつある人のおののきが現れている。二人は自分の意志で歴史の一コマになるが、好んでそうしているわけではない。ローラはルートヴィヒ一世の愛に守られて生きることを求めていたのだし、ゾフィーはサラエヴォで最初の爆発が起きたとき、ウィーンに残してきた三人の子供たちのことを思う。ゾフィーとローラの凍りついた表情は、オフュルスがメロドラマの話法に留まっていられなかったことの証左である。

3) 移動体の魅力的な使用。b の船と馬車の場面に匹敵するものとして、a では列車の貴賓室をあげることができる(二人の結婚への布石として、また死に至る旅程の一環として、この特別車両が登場する)。貴賤結婚ゆえに宮廷の公式行事では末席に置かれるゾフィーにとって、フランツ・フェルディナントとの列車の旅には格別の魅力があるはずなのに、二人を取り巻く不穏な政治情勢がいつもそれを邪魔する。ゾフィーが自分の怖れを夫に告げるのも、特別車両の場面においてである。b においてローラは文字通り馬車にのって恋愛遍歴の旅をする。革命によってミュンヘンを追われるときに彼女が乗っている馬車は、この地にやってきたときのそれである。こうした馬車の演出はそのままサーカスの舞台に引き継がれる――舞台上の「ローラ・モンテス」も道化師とダンサーに付き添われ、馬車に乗って登場する。a の特別車両はやはりこうした運命の乗り物の表現である。

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