ワン・ビン『名前のない男』

ワン・ビン監督の2009年作品、『名前のない男』を見た(K’s シネマ、今日)。同館ウェブサイトの解説によると、「『鳳鳴』『無言歌』製作のために通りかかった廃村で、ワン・ビンが出会った男。たった1人で洞穴に暮らし、口もきかず、ただ「食べて生きる」ため日々を営む」。

この注釈にあえて付け加えることがあるとすれば、この無名の男は芸術家であるということだ。ただし、彼自身はそんな自己規定とは無関係に生活しているので、これはその暮らしぶりに対してわたしが勝手に抱いた感想に過ぎない。

当初わたしは、彼が何をしているのかまったくわからず(今もその大半が何であったのかわかっていないのだが)、男の後を追うワン・ビンのカメラが、かなりの高低差の下りにも揺らぐことなくアングルを保持するところや、並んで歩きつつ男の横顔を撮り、その後彼が背を向けて立ち去っていく後ろ姿を、停止してじっと追い続けるところ、また男が住処にしている穴ぐらの、到底カメラには入っていけそうにない入口から難なく潜入してしまうところなど、いつもの動物的なカメラワークの方に注目していた。

しかし、例によって優れたこれらのカメラワーク以上に、この映画の唯一の登場人物の行動がおもしろいのである。彼は道にこぼれたおそらく馬糞を拾い集め、大きな袋に詰めて荒野に運び、浅く掘り返した穴に納める。干して燃料にでもするのか、それとも単なる儀式なのか。彼も監督もまったく説明しない。4回ある食事の場面はこの作品の中心をなすが、最初の2回の食事でわたしたちが目にするそれらは壮絶で、ほとんど泥団子を食べているのではないかと感じる。鍋も食器も崩壊しており、洗った形跡もなく、彼の両手は泥まみれのままである。にもかかわらず、その行動にはたしかな秩序があり、彼は行き当たりばったりの生活を送っているわけではない。

それがわかるのは、この穴ぐらの周囲に設けられたいくつかの補助施設の存在を通してである。水を汲む川、別のより小さな穴(何かを保存しているようだ)、衣服の残骸が並べて干してある、人の背丈ほどの高さの小屋のようなおそらく泥土づくりの建物(窓も入口もない)、さらにはカボチャとウリのあいのこめいた謎の野菜や、ヒエかアワらしき穀物などが実る畑。彼の一日はこうした施設を巡回して行われる、例の馬糞集めや食料の手配から成り立っている。何かの交易を行っている気配はないが、タバコや口の中でカリポリ音がする食べ物は、さすがに自作したようには思えない。彼の行動に口を挟む者はたえてないが、ひょっとしたらこの地域の生活保護を担う役所あたりから、多少の物資の提供くらいはあるのかもしれない。

男の行動が一定の秩序を示しつつ、わたしたちにはその意味が了解できないという点が、彼を芸術家と呼びたくなる理由である。それならたとえばその生活ぶりがほとんど知られていない少数民族を撮ったフィルムは、すべて芸術家を描いていることになるではないかと言われるかもしれない。わたしが言いたいのもせいぜいその程度のことだ。つまり、『三姉妹』の少女たちや『収容病棟』の被収容者たちと同じく、ワン・ビンはこの作品でも多数者の生活様式から遠く離れた暮らしを営む人の芸術性を捉えている。

今あげた他の作品と異なる点は、このフィルムには男と彼が暮らす荒野しか登場しないということだ。男の生活の厳しさが乗り移ったかのようなこのストイシズムは、ワン・ビン作品には珍しいのではないか。『収容病棟』第2部、病棟を出所した放浪癖を持つ男の実家での生活を追う場面に、彼が再び放浪に出たがっていると思しき様子を捉えた忘れがたいショットがある(夜の道路を歩き続ける男の横顔と後ろ姿をカメラはずっと追いかける)。『名前のない男』は全編があのトーンで撮られている。ワン・ビン作品としては例外的に短いが、この簡潔さも魅力である。

K’sシネマでは、ワン・ビンやアピチャートポン・ウィーラセータクンらの作品を配給してきたムヴィオラの15周年を記念する映画祭が行われていて、本作品もその一環として上映された。もう一回、11月14日(土)、12: 50 からの上映がある。先に紹介したムヴィオラ映画祭のサイトから、この作品についてのコメントを引用しておく。「『本当は映画館での上映には貸せないんだけど』と言われたが、でも大好きだから、ワン・ビンを紹介するのに欠かせないからと無理を言って、今回もまた上映させてもらう。そういうことなので、ぜひ皆さん、見てください。11/8(日)13:20と11/14(土)12:50の上映です。」

【追記】 男が拾い集める土塊について、それが馬糞であるかどうか、そもそも動物の糞であるかどうかの確証はない。フィルムに馬車や動物の姿は映らない。ただ、動物の糞を集めて比較的肥沃な土地に移しておけば、そこに含まれている穀物から芽が出る可能性がある。男の「畑」はそのようにして維持されているのかもしれない。

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