教養の断絶について

芳澤勝弘『「瓢鮎図」の謎』を読みながら、「瓢鮎図」(絵と賛)を描かせた足利義持(世阿弥と同時代の将軍)と彼の時代の禅林の教養が、いまはそっくり抜け落ちていることを興味深く感じた。この著作で芳澤氏は、室町の知見が江戸期にさえ必ずしも受け継がれていなかったことを、「瓢鮎図」旧解釈の誤りを通して丁寧に指摘している。ある時期の体系的な教養が数百年もすればまったく別のものに置き換わってしまうということは、この事例に留まらずしばしば観察される。

たとえばパノフスキー “Et in Arcadia ego” は、この著名な語句が近代においてどのような解釈の変化を被ったかを明らかにしている。しばしば「われアルカディアにありき」と完了時制で翻訳されるこの文は、彼も指摘する通り、古典ラテン語では現在時制でしか読めない(「われもまたアルカディアにあり」)。絵画の中に髑髏とともにこの文が引用される場合、一人称で「われ」と言うのは死であり、その謂はアルカディアの地にも死は存在するということである。それが近代のロマン主義――アルカディアを理想郷とみなす――とともに、ego(われ)は人とみなされ、このフレーズは理想郷にあった人を指示するものに転じた。西欧文化においてラテン語に由来する教養が一貫しているかのようにわたしたちは考えがちだが、パノフスキーのこの論考は、そこに多くの断絶と転換があることを明らかにしている。

「瓢鮎図」の見方が室町、江戸、今日でそれぞれ異なったものになるのも、近代日本の歴史的断絶(いわゆる近代化)以前に、むしろ教養というものの飽和の結果であるように思われる。本書で紐解かれる室町時代の、とりわけ禅林の教養の分厚さはすごい。これを江戸から今日に引き継いでいたなら、そこから生じたものの豊穣ははかり知れないが、そうは問屋が卸さないということなのだろう。体系的な教養を引き受けるだけでなく、それを劣化させることなく後生に伝えるということは、歴史の様々な偶然と相俟って並大抵のことではないからだ。

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