アーノンクール引退発表

ニコラウス・アーノンクールは12月5日、86歳の誕生日前日に書面で、「体力が及ばなくなった」ことを理由に引退を発表した。彼と共同で古楽奏法によるJ・S・バッハの教会カンタータ全曲録音を成し遂げたグスタフ・レオンハルトと、アーノンクール同様、オリジナル楽器のソリストから指揮者に転じたフランス・ブリュッヘンは他界してしまった。少し後の世代の古楽演奏家たちも次々に一線を退いている。1960年代にダス・アルテ・ヴェルク・レーベルとともに始まり、西欧では80-90年代に最高潮に達した後も音楽界に強い影響を与え続けてきた古楽演奏の一大潮流は歴史の一コマとなり、欧米各都市を拠点に活動するあまたの若い古楽オーケストラ、アンサンブル、ソリストの存在と、ベルリン・フィルやメトロポリタン・オペラなど、大オーケストラと大オペラハウスの演奏にしばしば取り入れられる古楽奏法のイディオムとが、先人たちによる古楽「復興」をより包括的で多様な実践の段階に移している。

アーノンクール自身、この30年間すでにたんなる「古楽」の演奏家ではなかった。転機は80年代にチューリッヒ歌劇場を指揮してモーツァルトのオペラを公演・録音したことにあった。わたしはなかでも『イドメネオ』の衝撃を忘れることができない――彼の録音によってはじめてこの作品の真価を教えられた。その後も彼はウィーン・フィルをはじめ欧州各地のモダン・オーケストラを指揮して、ベートーヴェンやシューマンの傑出した演奏を行った。日本にもウィーン・フィルと、彼自身の古楽オーケストラであるコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンを率いて訪れている。わたしはライブ演奏に接したことはないが、NHK・BSで放送された後者の初来日公演(モーツァルトの『主日のための晩祷』と『レクイエム』)を視聴して強い感銘を受けた(いまでも折に触れて視聴している)。レオンハルト・コンソートが80年代には録音のための機会団体となっていて、J・S・バッハのカンタータ全集完結後、レオンハルトはもっぱらラ・プティット・バンドやエイジ・オブ・インライトゥンメントなどのオーケストラに「客演」して録音を残したのに対し、コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンの方はアーノンクールがモダン・オーケストラを指揮するようになってからも、彼が古楽作品を演奏するときのパートナーであり続けた。先のNHKの番組は06年の初来日公演を収めたものだが、アリス・アーノンクール夫人をはじめ創設以来のオリジナル・メンバーの間には若い演奏家の姿があり、演奏の様子を見るだけでこのオーケストラの分厚い歴史を実感した。

アーノンクールの最近の指揮について特筆すべきは、堅固なリズム感に裏づけられた強弱の交代に少しの乱れも陰りも見られなかったことである。ベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮する長身の彼の姿にわたしは威風さえ感じた。85歳といえば、指揮台に立つことも体力的に厳しい年齢だから、古楽というジャンルを超えたこの巨人が80歳を過ぎてなお数々の名演を残してくれたことにわたしたちは感謝しなければならないだろう。

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