性交様式論

このブログのコンセプトは革命と陰謀であり、モットーは“受動的で行こう”である。しかし、エントリを個別に見れば映画理論に関連する話ばかりなので、いったいいつになったら本題に入るのか、ひょっとしたらこの書き手はやる気がないのではないかとお思いの向きもあろう。心配は御無用、瞠目して待たれよ。

本日の表題は何となくマーク・ポスターから頂戴した。ポスターには申し訳ないが、彼の本の主題とはまったく関係ない話をするためにだ。私たち人間の性交の様式はどうもサマになっていない。有性生殖の仕組みそのものは論理的にできていて、それのおかげで遺伝子のカクテルを作るための多様な様式が生まれた。魚類の多くは、メスが生み落としておいた大量の卵にオスが近づいて盛大に精液を散布するが、これは彼らの宿命であるサバイバルの厳しさゆえに誕生した様式である(生まれた子どもは90%以上天敵に捕食されてしまうから、いっぱい子作りしなければいけない)。この時のメスとオスの間に愛があるのかどうか、お魚の気持ちを知り得ないのでわからないが、この性交(?)の様式はなかなか美しいと思う。

地上の動物は授精/受精のために性器の結合という様式を用いる。このメカニズムがよくてきていることは私も認める。フォン・ノイマンの頭の中には今日言うところのノイマン型コンピュータ以外のアーキテクチャが複数あったというが、有性生殖という戦略プラスその生物の生存環境の特性の組み合わせでいくつかの性交の様式が想定できることも、フォン・ノイマンのアーキテクチャのアナロジーで考えていいだろう。魚類の派手なお祭りのような非接触の性交と、動物のアンチームな性器の結合は、ともに合理的で美しい。

しかし性器の結合に付随して、多くの地上の動物たちは(広義の)肉の絡み合いの様式をそれぞれに作り出してもいる。こういうものを自然の神秘のように言う人もいるが、私にはこちらの様式はどうにもサマになっていないように感じられる。同じ種の他者のよくできた肉体に惹かれることは生き物として仕方がないが、肉体に惹かれることと性器の結合との間に、肉の絡み合いという一段階を入れ、それを性交の様式の中心であるかのように見るのは本末転倒だ。念のために言っておくが、私が問題にしているのは人類独特の生殖から遊離した性交様式、たとえば四十八手やカーマスートラなどに見られる体位ではなく、それらの起点にあった性交様式、そこから人類の多種多様な性交のための体位のヴァリエーションが生み出された、肉の絡み合いというあの原型の方である。

動物の性交一般において(広義の)肉の絡み合いはなぜ必要かと言えば、性器の結合を安定させるためであろう。カーマスートラの諸体位がどれほど突拍子のないものに感じられようとも、当初それらが目指したのは性器のたしかな結合であったはずだから、人類特有の文化的な性交様式のヴァリエーションも生物学的な起源を持つことは間違いない(当たり前の話である)。しかし、人類がまさにその肉の絡み合いから、生殖に直結しない文化的なふるまいの体系を作り出したという事実が証明している通り、肉の絡み合いは動物の性交様式としては恣意的すぎるのである。性器の結合を安定させるためなら、他にも性器自体の形態または機能を進化させるという手っ取り早い方法がある。ざっと思いつくものを挙げると、メスの身体に巻きつき着実に授精する螺旋状のペニスとか、精液を胞子状の被膜に包んで速射砲のようにヴァギナに向けて連射するペニスなどである。これらの性交様式は、肉の絡み合いという手法よりもずっと優れていると私は思う。

蛇の性交をだいたいの人が気味悪く思うように、われわれのカーマスートラの原型である性器の結合のための肉の絡み合いは、宇宙人から見てばかばかしいものである。どうせばかばかしいからもっとばかばかしくしてやろうという結果がカーマスートラであるのなら、私たちの祖先はエラい。そんな深謀遠慮も知らず、人間の性交様式を単純に賛美してはいけない。セックスするときは自分の様式の原型が出来そこないであることをつらつら考えながらやることをお薦めする。革命はありふれた日常から始めるべきなのである。

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性交様式論 への2件のコメント

  1. 原人先生の弟子 より:

    螺旋状のペニスといえば、山田風太郎『忍法忠臣蔵』に出てきた、「くノ一」のことを思い起こします。女陰に雌螺子が切ってあるために、彼女とまぐわった男性の陽根には雄螺子が切れてしまい離れられなくなってしまうというのです。大石内蔵助対策のために放たれたそのくノ一の運命については、ちょうど師走の時節柄タイミングバッチリのかのテクストに目を通していただくとして、わたくしが何を申し上げたいかというと、先生の「手っ取り早い進化」としてのご提案は、新規性=革命性に欠けるのではないかということ。螺旋とネジは近縁関係にありながら、螺旋は古代ギリシアから人間の道具としてさまざまに応用されたもの、一方螺子のほうとなると近代を待たねばなりません。螺旋状の陽根による交合を今さら持ち出されても、それはもはや進化とは呼べないかもしれません。女體にまとわりつき絡まる陽根といったものは、所謂「触手モノ」のアニメの定番ですしね。あの頭のイカれたギリシア人たちのことですもの、螺旋状の陽根なんてとうの昔に妄想済みというようなことだって十分にありそう。

    「精液を胞子状の被膜に包んで速射砲のようにヴァギナに向けて連射するペニス」も、「おちんちんはロケットだ」と喝破した詩人がすでに登場しておりますし、発射しぶち込むというその一点において、常日頃比喩を語らぬとおっしゃる先生に似つかわしからぬ隠喩的な発想が仄見えていると思えなくもありませんわ。そのようなまぐあいは、「受動的で行こう」という先生のモットーに反するものでさえあるように見えますし。もちろん、「革命はありふれた日常から始めるべきなのである」という先生の根本のご主張に異議を差し挟もうなどと不遜なことを考えているわけでは毛頭ございません。でも、現在の先生のご研究のありようでは、革命のつもりがうっかり保守反動にはまってしまいかねない危うさがあるような気がしてなりません。陽根の進化ばかりが語られ、女陰の進化については緘黙しておられるところなど、ファロス・サントリスム的な反革命的態度として指弾されかねないものと危惧致します。

    たとえば、植物的な交合を人間が行えるようになることこそ、陽根中心主義的な能動的肉の絡み合いの醜悪から抜け出る進化のヴィジョンとしてふさわしいのではないでしょうか。男の渇いた禿げ頭から風に吹かれてフケのような精子が舞い飛び、しとどに濡れた女の頭部へと飛来して受精に至る。すべては風任せ運任せの受動一筋、肉の絡み合いを完全に除去したまぐあいが実現します。このような交合が実現すれば、遺伝子カクテルは新たな香りと味わいを獲得、リア充/非リア充などといったくだらぬ格差社会も雲散霧消、イエ制度、戸籍制度も決定的な破滅を迎えるでしょう。そのような進化が実現してこそ受動的革命の勝鬨は世界に響き渡る……わたくし、そんな日のまぐあいのことを考えて早くもドキドキしておりますの。先生のほうから風が吹いて来ないかしら?

  2. borujiaya より:

    革命的なご提案、まことにありがとうございます。ファロスサントリズムを正しく批判された上、植物的まぐあいの付録まで添えられるとは、とてもただのおかたとは思えません。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。