ラテン系映画のその後

昨日は渋谷でオリヴェイラ『アンジェリカの微笑み』を見ることにして、それまでぶらぶらしていた。すると予想外の佐川急便による宅配あり--なぜ amazon.com からの品物の国内配達が佐川さん担当になったのかわからないが、とにかく届いたのは “Viola” のDVDだった(注文から6日目)。欧州便では時々こういうこともあったが、米国からの小包では最速記録だ。ピニェイロだからこそのマジックに違いないと勝手に決めて早速視聴したところ、先の自分のエントリーにいくつか間違いを見つけた。詳細は今日の午後にでもあげて訂正する。なかでも大きな間違いは、楽屋シーン最後のセシリアの企みの内容である--彼女はアグスティンではなく、サブリナその人を誘惑しようとしているのであった。だから楽屋シーン直後の『十二夜』のループは、映像が示している通り、サブリナに対するセシリアの「口説き」なのである。映画を見るときには台詞よりもまず映像に忠実でなければならないという教訓を改めて得た(楽屋シーン最後のセシリアの台詞は次のエントリーで採録する)。

『アンジェリカの微笑み』には驚いた。この作品についてもいくつか書き記しておきたいことがある。一つあげると「魂のヒヨコ仮説」。誕生したばかりのヒヨコが最初に出会った相手を親とみなす「刷り込み(インプリンティング)」の魂ヴァージョンである。イザクがアンジェリカに魅入られるのは、魂になったばかりのアンジェリカの刷り込みによるという仮説である(もしこの仮説を認めるなら、映画監督と撮影監督はいつでも魂を持っていかれるリスクに晒されていることになる)。この他イザクはなぜ農夫たちを撮影しにいったのか、この映画に出てくる子供たちはなぜ妙なのか、といった謎についても検討し、結局何の結論にも達しないというエントリーを書く予定である。

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