ハインリヒ・イザークのあまりにも美しいこの旋律は、コラールに編曲されてルター派教会で広く親しまれ、J・S・バッハ『マタイ受難曲』にも引用された。最後の晩餐でイエスが「あなたがたのなかにわたしを裏切る者がいる」と告げるのに対して、驚きおののく弟子たちの騒然とした合唱の直後、‟Ich bin’s, ich sollte büssen”(第10曲)と静かに流れ出すあの旋律だ。このメロディは『マタイ受難曲』第2部第37曲‟Wer hat dich so geschlagen”でも繰り返される。この作品中もっとも内省的な歌詞において、「インスブルックよ、さらば」の旋律が繰り返し用いられていることは興味深い。
もう一つおもしろいのは、J・S・バッハの教会カンタータ97番で同じコラール定旋律が用いられるとき、それが華やかなフランス風序曲の主題に変身していることだ。『マタイ受難曲』と『ヨハネ受難曲』での「インスブルックよ、さらば」の静謐な美しさとはまったく趣を異にする。ところがこのカンタータの終結コラールでは再びあの静けさが戻ってくる。このコラール編曲はバッハが書いた「インスブルックよ、さらば」のアレンジの中でも特に美しい。