Leonhardt の未CD化音源について

このエントリーはグスタフ・レオンハルトがSEONレーベルに録音したJ・S・バッハのオルガン作品のうち、CDに収録されずに放置されている傑作の名演を復活させること、それもオリジナルのアナログディスク(1972年と73年にレコーディングされたそれぞれ2枚組のアルバム『J・S・バッハ オルガン作品集Ⅰ』および『同作品集Ⅱ』)に即した復元を訴えるものである。書誌情報が長くなるので、結論を先に書く――SEONの2枚組CD(オリジナルディスクの抜粋)、レオンハルト『J・S・バッハ オルガン作品集』からは、「プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 533」、「プレリュードとフーガ ロ短調 BWV 544」、『ライプツィヒ・コラール』に含まれる「罪なき神の子羊 BWV 656」、「来たれ異教徒の救い主よ BWV 659」、「われ神より去らず BWV 658」という傑作の名演が抜けている。さらにまずいことに、この2枚組CDは、その後何度か再発売された複数のレオンハルト・エディション(彼の代表的なレコーディングを集大成したBOX)にもそのまま(つまりきわめて重要な5作品を欠いた状態で)受け継がれてしまい、オリジナルのヴァージョンを回復する試みがなされていない(日本国内で発売されているCDに限らず、現在 SEON レーベルを引き継いでいる Vivarte の海外盤でも同じである。たとえばこちら)。このままでは以上5曲の名録音の存在さえ認知されずに忘却されるおそれがある(BWV 533 には Deutsche Harmonia Mundi によって1988年にデジタル収録された演奏があるが、もちろん1972年の SEON のテイクとは異なる)。

SEONレーベルのために1972年1月にレコーディングされた2枚組のアルバム『J・S・バッハ オルガン作品集Ⅰ』には以下の作品が収録されている。


A
プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 547
プレリュードとフーガ ロ短調 BWV 544

B
マニフィカトによるフーガ BWV 733
カノン形式による変奏曲「高き天よりわれは来たれり」 BWV 769


A
プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 533
プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 548

B
『ライプツィヒ・コラール(18コラール)』より
罪なき神の子羊 BWV 656
来たれ異教徒の救い主よ BWV 659
われ神より去らず BWV 658
われ汝の御座の前に進み出で BWV 668

青年期の作品「マニフィカトによるフーガ」と「プレリュードとフーガ BWV 533」以外は、すべてライプツィヒ時代、つまりバッハの円熟期を代表する傑作である――3曲の「プレリュードとフーガBWV 547, 544, 548」は彼が書いたこの形式の最高峰、「カノン形式による変奏曲」は『ゴルトベルク変奏曲』『音楽の捧げもの』『フーガの技法』と並ぶ対位法の集大成、そして『ライプツィヒ・コラール』は作曲家が最晩年にまとめたコラール編曲集で、なかでも「われ汝の御座の前に進み出で」は死の床でアルトニコルに口述で筆写させたと言われる作品だ(レオンハルトが大バッハを演じたストローブ=ユイレ『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』のラストショットに重なる音楽は本作品の冒頭)。

ポピュラーな曲は避け、バッハの真価を知る上で欠かせない作品ばかりをまとめたレオンハルトらしい選曲である。アルバムの最後にバッハが死の床で口述した作品を置く配列にもこの『作品集』の特徴がよく出ている。

それだけではない。Ⅱ-B面のコラール編曲4作品を通して聴くと、『ライプツィヒ・コラール』の多様な美しさがよくわかる。このコラール編曲群は、ヴァイマール期にまとめられた45曲からなる『オルガン小曲集 Orgelbüchlein』(自筆譜も現存する)に含まれる作品からいくつかを取り上げ、あらためて作曲されたものだ。バッハはすでにオルガンの語法を集大成した『鍵盤練習曲集第三巻』を上梓しており、『オルガン小曲集』に取材したと言っても、そこには円熟期の技法が注がれているため、結果としてこの作曲家の壮年期から最晩年に至る相貌を認めることができる。「罪なき神の子羊 BWV 656」では、ヴァイマール時代のコラール編曲の方法(コラール詩行を逐一追いながら、複数の楽節を重ねていく構成)に立ち返っている(コラールの旋律は楽節ごとにソプラノ、アルト、バスに移っていく)。「来たれ異教徒の救い主よ BWV 659」には、『鍵盤練習曲集第三巻』のいくつかの作品を彩っていた装飾音による情景描写的な表現が聞こえ、「われ神より去らず BWV 658」はバス声部に置かれたコラール旋律の上に三声が重なる典型的なライプツィヒ・コラール様式である。そしてこれらに続くのが、この上なく美しい旋律と和声に導かれた「われ汝の御座の前に進み出で BWV 668」なのだ。ところが後で見るように、CD2枚組の抜粋版では、貴重なBWV 656, 659, 658 の録音がカットされている。オリジナルの曲順(おそらく録音もこの順序で一気に行われたはずである)が失われたうえ、非常に優れた演奏を聴けないという二重の損失――無念としか言いようがない。

73年3月に録音された『J・S・バッハ オルガン作品集Ⅱ』の収録曲は以下の通り。


A
トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565
ファンタジア ハ短調 BWV 562
ファンタジア ト長調 BWV 572

B
パルティータ「おお神よ、汝義なる神よ」 BWV 767
さらば、われ汝に決別せん BWV 736


A
プレリュードとフーガ ハ短調 BWV 546
いと高き天には神のみにぞ栄光あれ BWV 663(『ライプツィヒ・コラール(18コラール)』より)
罪なき神の子羊 BWV 618(『オルガン小曲集』より)

B
われらの救い主イエス・キリスト BWV 665 & 666(『ライプツィヒ・コラール(18コラール)』より)
われらキリスト者 BWV 710
パルティータ「汝真実の光なるキリストよ」 BWV 766

こちらのアルバムは、ポピュラーな「トッカータとフーガ ニ短調」から始まること、青年期の作品を多く含むこと、先のアルバムに収まりきらなかった『ライプツィヒ・コラール』から数曲を補っていること、先のアルバムに取り上げられていた「罪なき神の子羊」の『オルガン小曲集』ヴァージョンを含むことなどから見て、第Ⅰ集の補遺という性格が強い。とはいえ二つのパルティータ(いずれも初期作品)が「プレリュードとフーガ ハ短調 BWV 546」(ライプツィヒ時代を代表する傑作)を挟み、前半にはまったく性格の異なる二つのファンタジア(BWV 572 のほうはフランソワ・クープラン風の壮麗な異色作)、後半にはいくつかのコラール前奏曲が置かれるという構成は手が込んでいる。締めくくりがパルティータというのもレオンハルトの選曲らしい。

以上の大いにくせのある選曲、配列を、次に示すCDのそれらと比べてほしい。こちらにはこちらの価値が十分にあるとはいえ、オリジナルから失われたものも多いとわたしは思う。


プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 547
カノン形式による変奏曲「高き天よりわれは来たれり」 BWV 769
マニフィカトによるフーガ BWV 733

『ライプツィヒ・コラール(18コラール)』より
いと高き天には神のみにぞ栄光あれ BWV 663
われらの救い主イエス・キリスト BWV 665 & 666
われ汝の御座の前に進み出で BWV 668

プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 548


トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565
罪なき神の子羊 BWV 618(『オルガン小曲集』より)
パルティータ「汝真実の光なるキリストよ」 BWV 766
プレリュードとフーガ ハ短調 BWV 546
われらキリスト者 BWV 710
さらば、われ汝に決別せん BWV 736
パルティータ「おお神よ、汝義なる神よ」 BWV 767
ファンタジア ハ短調 BWV 562
ファンタジア ト長調 BWV 572

もっとも大きな損失は、バッハの全オルガン作品を代表する一曲である「プレリュードとフーガ ロ短調 BWV 544」の欠落である。この曲は1727年、ザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグスト王妃エーバーハルディーネの急逝を追悼して作曲されたカンタータ『侯妃よ、さらに一条の光を』BWV 198 の前に演奏されるべき作品として構想されたという説がある(出典はベルナール・フォクルールによる『バッハ・オルガン作品全集』の、フォクルール自身による解説)。レオンハルトは教会カンタータ全集で BWV 198 をレコーディングしているだけでなく、これとは別に Das Alte Werk にも同曲を収録している。この曲の美しさはバッハのカンタータの中でも稀有であり、その理由は侯妃の死を悼む激情の表現にある。BWV 544 のロ短調という調性とその暗く激しい曲調は、BWV 198 に通じる。レオンハルトの演奏が素晴らしいことは言わずもがなであり、何とかこの演奏が再び世に出ることを願う所以だ。

『ライプツィヒ・コラール(18コラール)』の3曲、「罪なき神の子羊 BWV 656」「来たれ異教徒の救い主よ BWV 659」「われ神より去らず BWV 658」も実に優れた演奏である。これらは抜粋版の2枚組が出される前に一度CD化されたことがある(次に1990年に発売されたその日本盤のジャケットを掲げておく。このCDにはご覧の通り「プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 533」も収録されている)。しかし、この記事の冒頭で述べた通り、今ではもっぱら抜粋版の2枚組CDが流通しており、この4曲が録音されていること自体ご存じないレオンハルト・ファンもあるかもしれない。

わたしはアナログディスクでオリジナルの録音を聴いているが、できればハイレゾ音源でこのアルバムを聴き直したい。さすがに70年代のアナログディスクでは大音量のオルガンの響きに歪みが生じやすいので、デジタル音源にはそれなりの価値がある。もちろん一番大切なのは、レオンハルトの貴重な録音を忘却から守ることである。

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