『ベートーヴェン通りの死んだ鳩 〈ディレクターズカット版〉』

驚愕し、興奮した。フラーの流儀を押し通しているのに、いや押し通しているからこそ、当時のどんな “ニュー・ジャーマン” シネマよりも新鮮だ(本作は1972年に西ドイツのTVシリーズ『犯行現場』向けに製作された。ただし今日ユーロペースで公開されたのは123分のディレクターズ・カットである)。これに比べればファスビンダーの諸作品さえ格調が高すぎるし、ヴェンダース『アメリカの友人』などはたんなるお遊戯だ。

映画について書く際、平気でネタバレするのがこのブログの慣例になっている。だが本作はもっと大々的に公開されるべきであると信じるので、今回はあえて黙り、代わりにわたしが感じた作品の魅力を挙げてみたい。

1. 最初はどこか垢抜けない感じがするすべての登場人物が、映画の展開につれて強烈な個性と魅力を発揮するようになる。フラー作品に限らず、これは比較的マイナーな配役で撮られたよい映画に共通する特色だ。それにしても本作の主人公二人(67年にフラーの妻となり、『アルファヴィル』で映画デビューしたクリスタ・ラング+『クリムゾン・キモノ』のグレン・コーベット。互いに騙したりすかしたりしながらも惹かれ合っているという設定)に見られる映画的な造型の巧みさはあまり類を見ない。ラングが演じるのは、騙して撮影した熱いツーショットをネタに政治家をゆする闇組織の女だ――若さの盛りを過ぎているという設定で、コーベットからは目の下のくまが魅力的とさえ言われるのだが、ほんとうにそれがチャーミングに見え始める(わたしの個人的なアレではないはずだ)。フラーの作品には男と女が互いを裏切りながら強く惹かれ合うという設定がよく登場するが、映画の展開とともに主人公たちを捉えていく白熱の理由の一つもここにあるのかもしれない。劇中の人物同様、俳優の間にもある種の剥き出しのエモーションが共有されるからだ。フラー本人が現場でどんなふうに指示していたのかは、このたび翻訳が出る自伝を読んで確かめてみたい。

2. それぞれ単独に見ればお腹を抱えて笑ってしまうコミカルなショットが、一瞬にして人間性(映画の中の表現だから、特定の状況下における人間の発話と行動のあり方)に対する残酷なほど鋭い洞察に転じる。たとえば麻薬調査官(“西” ドイツでは当時税関職員がこの役目を果たしていたらしい)が主人公の潜入調査の経過をしつこく聞き出そうとする時のやりとりからは、当初米国人探偵に友好的であるように見えた西ドイツの役人の腹の底がちらちら透けて見え始める。あるいはゆすりのタッグを組んだ主人公二人の脅しに対して、発作を起こして死にかける政府高官と、イメチェンにぴったりだと豪語して友人たちに写真を見せびらかす別の政治家の姿のコントラスト。‟回心”して自分への愛を告白したヒロインを、たった一人で組織のボスのもとに行かせてしまったことを後悔しつつレストランで店の少女と話す主人公のさま、冒頭の殺人犯で今はヤク中になっている組織員がケルンのカーニバルで見せる狂態、主人公と組織のボスの対決場面、そしてラストシーンに至るまで、どんなにシリアスでもコミカル、どんなにコミカルでもシリアスである。こう言うと語弊があるが、観客の心をぐさぐさ刺す凄いシーンの数々を、フラーはあくまで格調低く撮っている。人間性を描いたぜ、といったひけらかしや気負いはいっさいない。それなのにシェイクスピア作品を読むようなこの感銘は何なんだ。ちょっと話が深刻になり過ぎたので書き添えておくと、本作には単純に愉快な場面もたくさんある。たとえば主人公がヒロインを追って映画館に入ると、ドイツ語に吹き替えられた『リオ・ブラボー』がかかっており、ガンマンを演じるジョン・ウェインとディーン・マーティンに夢中で見入ってしまった主人公は(本作の)ヒロインを取り逃がしそうになる。映画の引用では他にクリスタ・ラングとエディー・コンスタンティーヌが登場する『アルファヴィル』のワンシーンがある(注)。

3. 再現あるいは反復ショットの巧みな活用。フラーの編集技法の一つに、一度登場した建物、室内、レストラン、街の情景などを、あたかも観客にその追想を迫るかのごとく再現するやり方がある(今回の特集上映で取り上げられた『チャイナ・ゲイト』、『ショック集団』、『ストリート・オブ・ノーリターン』でも顕著)。本作『ベートーヴェン通り』の場合、ケルン大聖堂とカーニバルの行列、ボンのアジトとフェンシングがその好例だ。ストーリー展開そのものは予想外かつスピーディで、その上しばしばエピソードの途中を大胆にカットしてしまう彼の作品において、特定の映像を断片化して反復し、観客の記憶を刺激するこの方法はフィルムのいわば縦糸を構成するために役立つ。たとえばボンのアジトに主人公が入るとき、観客はその建物の外観をまざまざと思い出す。彼がクリスタを探す廊下と室内は、彼には初めてでも、わたしたち観客にとってはなじみの場所である(前半フィルムに登場したときにはフェンシングの稽古をする人たちがたくさんいたのに、ラストのシークエンスではがらんとしている――この対比は、主人公にはわからないものの、わたしたちには不気味だ)。こうした再現手法がラストショットでももう一度用いられていることは、ご覧になったかたには明らかである。

もうすぐ同じユーロスペースで、ファスビンダー『あやつり糸の世界』がロードショー公開される。『あやつり糸の世界』にももちろんレミー・コーションと『アルファヴィル』が強い影響を及ぼしているので、この企画との関連で『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』を見るのも興味深い。ユーロスペースの深謀遠慮に脱帽する。

とにかく素晴らしい作品なので、引き続きあちこちで再上映してほしい。

注 このサイト(https://www.criterion.com/explore/40-christa-lang-fuller-s-top-10)にクリスタ・ラング自身による『アルファヴィル』についての記述がある(彼女の映画デビュー作とのこと)。”It has not aged a bit, and it contains my cinema debut, albeit in a small role. And the great Akim Tamiroff gets to die on me! An unforgettable experience. My daughter loves the way I pickpocket Tamiroff while taking his coat off.”

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