『裸のキッス』(Naked Kiss)

『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』のラスト近く、ケルンのカフェで主人公がさくらんぼのシュナップスを飲みながら店の少女と対面する場面には、『裸のキッス』の主題と方法を読み取る手がかりがある。ケルンのカフェの六、七歳くらいの少女は、主人公が取り出した銃に気づいて好奇心に駆られている。主人公の男の方は、組織のボスとの交渉に向かったヒロインの身を案じ、彼女をひとりで行かせてしまったことを後悔している。テーブルを隔てて彼と差し向かいに立つ少女のアップを正面から捉えたショットに続いて、主人公のつぶやきが聞こえる――ヒロインにも、この少女のような時代があった。ヒロインは汚いゆすりの商売に手を染め、今では闇社会の女に成り下がっているのだ。銃を見て少し驚いたふうの少女に、これはおもちゃだよと話しかけ、彼は店を出ていく。ガラス越しに外の景色が透けて見える店のドアの向こうに主人公、手前に彼を見送る少女の後姿が映る。これだけのシークエンスだが、カーニバルのきれいな衣装に身を包んだあどけない瞳の少女のアップと、所在なげにシュナップスを飲んでいるうつけたような主人公の切り返しショットは記憶に残る。

『裸のキッス』のヒロイン、ケリーは元娼婦である。決まって主人公が熾烈な戦場に放り込まれるフラー作品の中でも、彼女が直面する試練は過酷だ。女たちの稼ぎをピンハネしていたダニのような男を、その靴でしたたかに殴り倒して逃げ出した彼女は、追手を巻くため二年ほどほとぼりを覚まし、グレイハウンドの長距離バスに乗ってグラントヴィルの町へやってくる。娼婦仲間を逃がしたことをとがめられ、頭を丸坊主にされていた彼女(冒頭の彼女は寄生虫男に向かっていきなり男物の靴ハンドバッグを振りかざし、そのあおりでかつらを落とす)も、今では見事なプラチナブロンドの髪をなびかせている。彼女はシャンパン「天使の泡」のセールスウーマンという触れ込みで、流しの娼婦稼業をやるつもりである。グラントヴィルで最初に引っかかったのは私服警官グリフ――富豪グラント(グラントヴィルの創設者の末裔でヨーロッパにも複数の邸宅を所有する)の元戦友であり、町の顔だ。

グリフもまたケリーのこれまでの人生に登場した多くの男たち同様ダニである。真っ先に彼女の客になったくせに、自分の管轄しているグラントヴィルは真っ当な町なので、今後は川向うで商売しろと彼女に命令する。おまけにキャンディという女が仕切っているボンボン売りの店(もちろん娼館)まで紹介する有り様だ。夜勤に出かけたグリフの部屋で、ひとり一夜を明かしたケリーは、朝の光で鏡に映った自分の顔をつくづく見ると、くたびれ果てた機械のがらくた(これは後でグリフに彼女自身が告げる表現である)のようなその容貌に驚き呆れ、これを限りに娼婦をやめようと決心する。

幸先よく、朗らかで心の広い婦人が貸し手の小ぎれいな部屋を見つけ、グラントが経営する病院で肢体の不自由な子どもたちを介護する仕事に就いた彼女に、病院に乗り込んできたグリフは、ここのスタッフを垂らしこんで闇の商売を続ける気かと、脅迫まがいの言葉を投げつける。彼と過ごした翌朝の改心についてケリーが必死に訴えるのはこの病院の場面においてである。本作前半の非常に重要なこの箇所で、グリフはケリーに対して「外見で騙せても、お前の身体は変えられないぜ」と、実にいやらしいことを言う。ケリーの返答はこうだ。「たしかにわたしの身体はわたしのパスポートよ。職業は変えられてもわたしの過去を変えられないことくらいわかってる。でもわたしはやり直したい」。これを聞いたグリフはいったん引き下がる。

ここで明らかにされているのは、ケリーの身体の戦いという主題である。もちろんどんな戦いも身体を賭けたものであることに違いはないが、それ以外には資本を持たない元娼婦が、半ばがらくたと化した自分の身体の投げ売りをやめ、別の仕方でそれを役立てようとする点で、ケリーの戦いは ‟からだを張った” ものと言う他はない。むしろそこでは身体以外に何も賭けられていないということが、本作における戦いの描写を簡潔で純粋なものにしている。この映画を何度か見直すと、冒頭の激しいケリーの身振りにも、凶暴さや荒々しさではなく自分の身体を変えようとする訴えを認めることができるようになる。多くの観客には娼婦の感じ方はわからない。それはフラーとても同じだろう。ただ、あのケリーの身振りを撮るフラーには、彼女に寄せる強い共感、あえて言えば慈しみがあるとわたしは感じる。このショットを見る観客が最初に受け取るのはたしかに衝撃そのものである。しかし、執拗にハンドバッグを振りかざす彼女の姿には、他人の欲望のために調整されたロボットの身体を作り変えようとする戦いが表現されていると言っても間違いではないだろう。

ケリーは肢体の不自由な子らの励まし手となる。彼らに海賊船の船員の役割を与え、病棟の広間を海原と草原に変えて彼らに冒険の旅をさせようとする。フラーは義足をつけた少年がケリーや仲間たちといっしょに芝生の上を自由に走る想像上の場面を加えている。ありきたりの表現と受け止める観客もいるかもしれないが、わたしはそうは思わない。自由に走ることはケリー自身の願望でもあるからだ。彼女の子どもたちに対する愛情は、彼女自身の経験と現在から生じている。

この文章の冒頭で触れた『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』の少女のショットが、『裸のキッス』と結びつく理由の一つは、病院の子どもがケリーといっしょに「青い鳥」(正確なタイトルはわからない)を歌う場面で、ひとりひとりを撮っていくシークエンスにある。フラーは立って歌う彼らの姿を個別に、正面から仰角ぎみのアップで収めている。そこに見て取れるあどけない無心の表情は、『ベートーヴェン通り』の少女のそれとそっくりだ。この少女はヒロインの幼年時代のイメージであるが、「幸せの青い鳥はどこに」と歌う子たちそれぞれのアップは、孤独に自分の身体の戦いを戦っているケリー自身の現在のイメージである。『ベートーヴェン通り』の主人公二人が、そのラストで経験する凄惨な戦いに先立つショットとして挿入された少女の姿は、『裸のキッス』の子らのそれを再現したものであるように私には思われる。なおフラーが激しい暴力シーンの間に取り込むこうしたあどけない子どもの姿は、けっして暴力描写とのコントラストなどを狙ったものではない。フラー作品の中で孤独な戦いを敢行する大人たちと、戦いに巻き込まれたり見捨てられたりする子どもとは、まさに同じ戦場にいるからである。『裸のキッス』の子どもが、ケリーのいわば戦友である点には何度でも注意を促しておきたい。

ストーリーは後半に入ってきわめてスリリングな展開を遂げる。ケリーは婦長の紹介で、ヨーロッパから帰国したばかりのグラントのパーティーに招かれ、冷ややかなまなざしで彼女を見るグリフをよそに、ケリーとグラントは恋に落ちる。おそらくそのパーティーの夜に、月光ソナタ(部屋にはこの家の主人が崇敬するベートーヴェンの像が置かれている。『ベートーヴェン通り』の冒頭に現れるこれとよく似た像は、たぶん『裸のキッス』を指示している。前者のヒロインもまた月光ソナタを愛しているのだった)、バイロンの詩句、そしてヴェネツィアの景色(グラントがフィルムに収めたもの)を通して意気投合した二人はキスを交わす。初めてのキスの直後、ケリーは一度グラントの身体を押し返し、彼はいぶかしげな表情を見せるが、すぐにケリーは彼を再び抱き寄せる。二人のキスシーンは、本作を通してこの奇妙な場面だけだ。ワンス・アンド・フォー・オールの理由はいずれ明らかになる。

少しの時を経て、二人がグラント邸の広間でダンスをする場面――ケリーは自分の過去をグラントに打ち明けるが、驚いたことにグラントはこの告白の直後、彼女に求婚する。続くケリーの部屋のシーンで、彼女は部屋に置かれたチャーリーの人形(チャーリーは家主の婦人の許婚者で、ビッグ・レッド・ワンの一員として従軍し、生きて帰らなかった。その軍服と帽子が記念品として残されている)に向かって胸中を語る。グラントが求婚に際して口にした、「二人で同一の存在になろう」という謎めいた言葉も、彼女の回想を通じてわたしたちに紹介される。

果たして自分はグラントにふさわしいのかと思い悩んだケリーだが、彼の真摯な態度を信頼し、結婚の申し出を受け入れる。花婿の付添い人を依頼されたグリフが病院にやって来て、入院している子らの授業に同席していたケリーを教室のガラス戸越しに呼び出すショットは重要である。ケリーが部屋を出てガラス戸の向こうのグリフと会話を始める様子は部屋の中から撮られ、わたしたちには授業で何かを読んでいる子らの声しか聞えない。グリフとの戦いに赴くケリーを子どもの視線が追い、二つの領域(大人と子どもそれぞれの領分)が一瞬分かたれるというこの表現は、『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』でレストランの少女がガラス戸越しに主人公を見送る箇所と同じである。これが本文の冒頭で『ベートーヴェン通り』のあのシーンに言及した第二の理由だ。ケルンのレストランの少女は男が銃を持っていることを知っていながら、怯えることもなく彼の言葉に耳を傾け、親しい人に対するように去っていく男を見送る。ガラス戸越しのこのようなショットは、フラー作品の編集において重要な役割を果たしているように思われる(『裸のキッス』にはもう一箇所窓越しに内部と外部が区切られるショットがある。黒髪の看護師バフが偽証を悔いてグリフの家を訪れる場面である――これがケリーを冤罪から救い出す直接のきっかけになる)。

さてケリーとグラントの結婚話に驚いて病院にやってきたグリフは、ケリーを職員のいない部屋に連れ出し、すぐこの町を出るよう言い渡す。彼女が娼婦だったことをグラントは知らないと思っているのだ。グラントに電話してもいいかと尋ねるケリー、承知するグリフ、相手が出るのを待つ間、受話器を手で塞いで「グラントは(わたしの過去を)知っているわ。もちろん(この町で客となった)あなたのことは話していない」とグリフに告げるケリー――グリフはぐうの音も出ず、「本当の愛を見つけたな」と言い残して立ち去る。

ストーリーが急転する核心部分に入ろう。ここではフラーに関する他のエントリーで繰り返し指摘した、短いショットを組み合わせて観客の記憶に働きかける編集操作が行われている。フラー作品を特徴づける手法が明瞭に認められるので、くわしく振り返ってみよう。

仕上がったばかりのウェディングドレスを収めた箱を手に自宅を後にしたケリーは、なわとびをして遊ぶ少女たち(この子たちは後述する場面でもう一度登場するはずだ)の姿を見ながら、歩いてグラント邸にやってくる。この日は執事が暇を取っており、未来の夫に彼女が手料理をふるまうことになっていた。以下のシークエンスを構成する各ショットは、グラント邸の玄関・廊下・広間の入り口などに限ってはわたしたち観客が先行するいくつかの場面で見たのとほとんど同じアングルで撮られている。またオープンリールのテープレコーダーを収めたステレオは、ケリーが結婚承諾を伝えに来る朝のシーンでベートーヴェンの「運命」を流していたそれであり、観客にはすでに馴染みのアイテムだ。フラーはこれらが持っていた色合いを次のような編集によって塗り替える。

玄関ホールにケリーが入ると、病院の子らといっしょに歌ったあの「青い鳥」が聞こえてくる(グラントが録音した音源である)。続くショット群をざっと記録しておくと以下の通りである。廊下を広間の方から縦に見るショット(彼女が玄関から手前に向かって歩いてくる)、彼女の視線から見た広間に続く階段下部(グラントを探している)、同じく彼女の視線が捉えたオープンリール・レコーダーとそのリールのアップ(「青い鳥」がここから流れていることがわかる)、広間の入り口に差しかかって立ち止まり、視線を広間の方に向けるケリーの全身、彼女が見る書棚のショット、彼女の顔のアップ、切り返しできわめて短くインサートされる少女の顔のアップ(おそらくほとんどの観客には彼女がだれだかわからないだろう。実はすでに二度登場し、彼女の名はケリーがグラントと初めて会ったパーティーの席上でも出てきたのだが)、広間の向こうのドアにスキップするようにして行く少女の後姿、ケリーの顔のアップ(首を下に傾ける)、ひざまずくグラント(「俺とお前は同類なんだ。これは理想の結婚だ」という驚愕の台詞を口にする)、電話の受話器を手にするケリー(ここで冒頭のハンドバッグのしぐさが反復され、彼女は受話器でグラントの頭を殴りつける)、箱からこぼれ出るウェディング・ドレス、テーブルの下に横たわるグラントの頭部にかかる花嫁のヴェール、椅子に掛け茫然とするケリーと足元に横たわるグラントを収めた引きのショット、あたかも彼女が見たばかりの情景を断片的に繰り返すかのようなグラント邸の室内のいくつかの映像(女の子が出て行った広間の向こうのドアも反復される)、そしてもう一度茫然とするケリーと横たわるグラントを捉えたショット。

グラント邸内の映像と「青い鳥」の歌声を再現し、すでに見ているとはいえほとんどわたしたちの記憶に残っていないだろう少女を呼び出すと同時に、ひざまずくグラントのアップと台詞をいきなり登場させることによって、それまでの作中のイメージの配置と意味を一挙に転換する。こうした手法は他のフラー作品にも認められるものだが、『裸のキッス』のこのシークエンス以上に鮮やかな例は少ない。それだけではない。続くグリフによるケリーの尋問シーンでは、グリフが想定する殺人の経緯(婚約を解消されてグラントを殺したのに、少女に対する彼の性的嗜好などという真っ赤なウソをでっちあげて自分の発作的な逆上を装っているという内容)と、ケリーの側からの反論が対置される。グラント邸で起こったできごとがケリーの証言によって再構成されると、わたしたちは先に見たばかりの映像を反芻するよう促される。グラント邸のシークエンスは、短いショットを繋ぐ映像処理、および「青い鳥」の歌からグラントの突然の台詞へ続く音声処理のせいで、それ自体フラッシュバックのような印象を与える。それゆえ尋問に答えるケリーの場面でも、観客の記憶は彼女の証言と容易に重なる。

ケリーがグラント邸で見た少女を再発見するのは独房の窓を通してである。二人の間には鉄格子があり、それが彼らの結びつきを一度は断ち切る。しかしバフの証言によってグリフも動かされ、グラントヴィルの町に住む六、七歳の少女が面通しされて遂にケリーは少女と再会する。この少女はグレイハウンド・バスからケリーが降り立ったとき、彼女のスーツケースに貼り付けられたKの文字を見ておもしろがっていたバリーであり、グラントとケリーの結婚式では花を持って参列することになっていた。バリーの証言でケリーは冤罪を晴らすが、幸福な未来図がむごたらしいかたちで潰え去った後の彼女に残されているのは戦いの再開だけだ。つまり少女はケリーを解放したのではなく、新しい戦場へ送り出したことになる。とはいえここでもやはり、戦友としての二人の結びつきをわたしたちは確認できる。

『裸のキッス』というタイトルは、ケリーが語っている通り、変質者に特有のキスの味を指す娼婦仲間の隠語である。作中一度限りのグラントとケリーのキスシーンがこれにあたるわけだが、月光ソナタを聞きながらゴンドラを夢見て交わすキスにそういう味わいがあるとは考えにくい。ケリーが後になってあのファーストキスを「裸の」それとして思い起こしたのは、むしろ身体を賭けた戦いの渦中、再び最悪の敵と出会ってしまったことを自分に確認してみせる行為だったのではないか。家主婦人や病院のスタッフと別れ、ベビーバギーの赤ちゃんに微笑みを向けて町を去っていく彼女は、新たな戦いに臨んでいる。

【追記】 この記事を書いた後、昨日ユーロスペースで買ってきたフラー自伝中の『裸のキッス』をめぐる章を読んだところ、冒頭ケリーが振りかざすのはハンドバッグであることを知った(記述の誤りは訂正済み)。悔しかったのでYoutube 上の動画を見て確認した。ケリーが殴り倒した寄生虫男の靴が床に脱げ落ちているのを見て、わたしは彼女がこの男物の靴で相手をぶん殴ったものと勘違いしたようだ。弁解だが、ケリーが手にしている黒い物体をハンドバッグと識別するのは困難である。なお、わたしがフラーのケリーに対する思いについて本稿で述べた事柄は、自伝の記述を読む限り的外れではなかった。わたしのこの映画に対する見方はフラーの考えと一致しており、この点は率直にうれしい。

 

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